物は持った瞬間に支配される

物に支配されている、という感覚に
最近になって気づいてきた。欲しい、と思い
購入して、更にまた欲しくなり……のループに
嵌まったことがある人は多いと感じる。
物欲と言われるものだが、それを
刺激しているのは、広告やCMであったりする。
 

欲しいと思ってもらわなければ
これがないとダメだと思ってもらえるように
と、打たれた広告やCMをみて
手当たり次第に購入していたら
益々物に支配されていく。

それが執着となる

私にはこれが必要だ
無いと困る
今は使っていなくてもいつか使うから
こんな理由でものを処分せずに
取りおいてばかりいては、部屋を圧迫し
思考は絡まってしまい、悪循環を生む。

自分にとって本当に必要な物かを
確認せずに買い込んだ、自分の寂しさを
埋めるために購入したものは
果たして、毎日使うものなのか。
一時しのぎのような買い物で、果たして
自分は満足したのだろうか?
と、自分に問いかけてみて初めて
そうではなかったと言える。

ただ、物へ執着していただけ。
何一つ変化しないまま。捨てて、物の置き場を
作って気付いた、悪循環を生んでいたのは
環境のせいではなく、自分だった。

溜め込んだものが、自分を絡めていたんだ、と
気づいたときに、stayhome期間で
物への執着は無くなった。といって良い。

必要なもの、必要でないもの

見渡してみたら、ノートもペンも
新しく買わなくても沢山あった。それも
数えきれないほど。こんなに溢れていたのに
足りない!足りない!と買い込んでいた。
ノートもペンも処分できて今は
ペンケースに入る本数だけ、ノートも
数札あれば良いと思うようになり
更には、手帳。私はこれまで
手帳は必ず購入していた。現物が手元にある
それを安心ととらえていた。

物があれば安心だ、と言う思い込み

だと言うことに気づかせてくれた。
何も、手帳本体を買わなくても
今はアプリという手もある。現物が無くても
管理はできるんだよね。どうして今まで
『手帳が手元になきゃ』と思い込んで
居たのだろう、無いなら無いで
代わりのものを探せば良いのに。

それだけ私の思考が、手元にあると言うことが
安心できる、という、ある種の慢心が
あったのかもしれない。
書き残せる現物が欲しい、それがあれば
私は上手くやれるのだ!という
偏った考え方があったのだろうな……。

必ずしも現物があるから、良い。
ということにはならない。
むしろ、限られたスペースに毎年の
手帳が並んでいるのは、それは
自己満足でしかない、と気付いた。

なにも自己満足のために
手帳を買い込んで、漁っているような
そんな暇があるか?と。
もうそろそろ、現物主義から解放しても
良い時期かもしれない。

物に支配されて物の奴隷になるのは
本末転倒も良いところ。
だからこそ、物との付き合いは
極力減らしていき、自分と繋がる時間を
作っていく必要がある。

大切なのは物じゃなくて
自分自身だから。