それは甘えだ!

ドラマの再放送、おみやさんの第8話。
そこでおみやさんこと、鳥居勘三郎が
発したのが、『自分だって苦しんだって
言いたいのか?それは甘えだ!』
思わず書き残した。

そして今、この言葉の意味を考えて
立ち竦んでいる状態。甘え、となるのは
自分を正当化するためにエゴのために
盾を作る事も含まれるし
環境に甘えたり、人に甘えたり
自分が困らないように、予防線を張ったり
場面は容易に想像できる。

自分の主観的な考えを正当化するために
他の考えを、バカにして、貶しているのも
自分『だけが』正しい、という考えに
甘えている、という事になるのか……。

それなら、自分の考えを口に出すとき
『甘え』を無くして、本音でぶつかる
勇気があるのだろうか、取り繕わず
真っ直ぐ正面切って伝えられるだろうか。

甘えってなんだろう?

環境 人、物、考え方
居場所、様々に考えられるけど
確かに甘え、という物を抜きにして
どれだけの人が本音を言えているだろう。

この人なら許してくれる
この環境なら
裏切ったりしない……そんな感情だけで
人や物や環境を選んでいなかったか? 
私は……はい!と力強く頷けない。
確かに甘えがあったかもしれない。

だからこそ。
自分だって苦しんだって言いたいのか?
それは甘えだ!という鳥居さんの言葉は
重い言葉だった。

事実、確かに甘えがあったかもしれない。
今まで、振り返れば、甘えがなかったか
言われれば、ある。

そして甘えは言葉にも出てくる。

私は〇〇な人だから
私は出来ないから
出来ないんだよね~

私は〇〇な人、という言い方は
典型的な、できない自分を許してね、と
甘えてしまう言い方。
何をするにしても、妥協したり
諦めたふりをしながら、甘えている。

できない自分=可哀想でしょ?

できない自分は、能力が低いから
何をしても上手くやれないできない。と
予防線を張りながら甘えている。

こういっておけば、逃げることができるから。
言い換えれば、甘え=逃げている状態。
自分がしなくてはいけないことから
向き合わなければならない問題から
楽をしたい!と一瞬逃げ出してしまえば
考えずにすむから、と甘えを持ち出して
逃げてしまっている。

なんの解決にもならないのに……

根本の問題を解決せず、表面だけを
解決したつもりになっても、また
姿形を変えて表れてくる、それが
本質的な解決をしていないのなら
尚更の事だ。だからこそ、甘えそうになった時
自分に喝を入れるためにも

自分だって苦しんだって言いたいのか?
それは甘えだ!

 

この言葉を突き立てておきたい。
安易に、言い訳を持ち出して逃げないために。
妥協したくなったり、諦めてしまいそうな時
甘えを許しそうなとき。
この言葉を思い返せば、甘えている暇も
無くなるし、言い訳は利かない。

自分が惰性で考えてしまった事を
甘えた考えで物を見ていそうなときに。
甘えているなよ!と言うためにも。
  

価値観がまた1つ切り替わった。
渡瀬恒彦さんに、感謝申し上げたい。