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ネガティブな独立

娘が家を出た翌日は、仕事の合間にふと我に返ると自分の置かれている状況に涙が出てきそうになったが、仕事の忙しさで少し気は紛れていた。
帰宅後も翌日使う仕事の資料を作成しなくてはならず、追われていた。
賃貸契約書の事務的なLINEが娘から入りやり取りをしたが22時台に送信した既読が深夜0時を回っても付かなかった。まだ帰宅できていないのか、駅からの道が暗いのに、平和ボケしているから危機意識なく歩いているのではないかと不安が過るのを打ち消す。
もう諦めたんだ。娘の人生だから。成人するまで育てたんだからと繰り返し自分に言い聞かせた。

今日、大学の資料を取りに娘がきた。バタバタと必要な物を詰め戻って行った。片づけた娘の部屋は引き出しが最後まで閉じておらず中から服がはみ出てる。机の上には使いかけの履歴書の様式が無造作に置かれている。ちょっとの時間でも「立つ鳥跡を濁す」だ。これが毎日家中で繰り広げられていたんから、片付ける気にもならなかったよな…と思い起こす。

初日の心の変化から精神的に結構落ちていくのではないかと思っていたけど、時間があれば断捨離と掃除して、一人分の料理を食材の無駄が出ないように作って、余った食材でまた料理を考える。毎日一品ずつ余すことなく作って食べて。娘がいた時は常にもやもやしていた。自分が食べたいものではなく娘の栄養と喜ぶものが優先順位だった。なのに娘は食べなかったり、作り置きしていてもそのままになっていたり。かといって割り切って自分の食べたいものを自分の分だけ作ることに罪悪感があり不自由だった。

冷たい母親かな。娘に何かあった時、後悔するかな。
でも娘がなぜ家を出なければならなかったのか、ちゃんと理解できるまでは甘い顔は見せてはいけないと思っている。