【元教員】保護者から50分間の苦情電話。今はいい経験だと思える。


息せききって話す
ってこういうことなのか、、、止まらない、、、、

初めて体験した時は、
やはり正直きつかった。
きつい、きつい。

1年生担任時代の保護者さん。
お姉ちゃんもいたので、家庭の事情などは色々聞いていた。

1年生の太郎くん(仮名)は、もちろんとても可愛く大好きだった。
少し幼さは感じた。

運動会の練習で1,2年生合同授業。

その時の練習種目は
「玉入れ」だった。

教師たちは、
運動会で子供たちがかっこよく活躍する姿を
保護者のみなさんに見てもらいたい。
子供たちも運動会の練習や本番を通してもっともっと成長してほしい。

そんな思いで必死で取り組んでいる。
種目ごとに教師たちで割り振りをし、
当時は他学年の先生とも夜遅くまで話し合ったり
器具を手作りしたりしていた。


玉入れの音楽が流れ、
子どもたちがいっせいにかごに向かって玉を投げている。

そしてしばらくすると笛がなった。
終了の合図。

それでもまだ玉を投げている子がいた。
太郎君。

その時、2年生のベテラン先生が注意をした。
はじめにルール説明はされていた。
が、太郎君はそれを理解できていなかった。
叱られることになれていない太郎君は泣いた。
結構泣いて、その後は参加できなかった。

2年生の先生は「ごめんね、少し厳しかったかな」と気にされていた。

教師間でも、太郎君のこと、保護者のことは認知されていたが、
これもダメだったのか、、、、と教師たちも正直驚いた。

その姿をどこかで見ていたのか、誰かから聞いたのか、、、、
お姉ちゃんが家に帰ってお母さんに伝えた。

放課後、
職員室の電話が鳴って私は呼び出された。

太郎君のお母さんだった
「2年生のばばあがなに言ったんや~~~!!!!」

衝撃(;゚Д゚)

「ば、ば、ばばあ???!!!」


それまでももちろんいろんな保護者はいらっしゃいましたし、
それなりに大変でした。

しかし、
私の経験の中では
太郎君のお母さんはそれまでとは比較できないレベルでした。
(きっともっとすごいレベルの方もいるとは思いますし、当時の学校にはいらっしゃいました。その方に比べたら、、、、なのですが、、、、)

電話は教頭先生の机にありました。
もちろん教頭先生は、その家庭のことはよくご存じです。
お姉ちゃんの時代からずっと対応されています。
私のことも心配しながら
「大丈夫か?」
「大丈夫か?」
「なんかあれば代われよ」
と。
とても頼りになる教頭先生でした(:_;)

お母さんの怒りはおさまらず、

2年生のくそばばあから始まり、
私の指導が甘いから駄目なんだ!
からの
○○の家はおかしいやろ~!!
と他の家庭の文句になり、
声のトーンは維持されたまま50分間電話で話を聞き続けました。

そしてその後、
「教頭に代われ」と言われ、
教頭先生にパスいたしました。

なので、50分ではない、、、。
教頭先生、いつもありがとうございました!!!

1年間で何度かあったやりとりでございます( ;∀;)

もちろん、ものすごいストレスとショックと衝撃を受けました。

しかし、学ぶことも多かったです。
「他の親さんも言いたいことはあるだろう。。でも言われないだろうな」
ということも感じました。

当時の学校が、そのような保護者が何人かいらっしゃったけれど、
教師間で声を掛け合ったり、助け合ったりする雰囲気があったので、
本当に救われました。

その後、
免疫ができたのか?!
対応力が付きました。
肝もすわった気がします。
なので、
今となっては貴重な経験をさせていただいたと思っている所存です('ω')ノ
(できればもうしたくはない経験・・・)



私が転勤になった次の年に、
最強だった保護者(母)が校内で警察に連行されたと聞きました(;゚Д゚)

正直、その方は
すごい状況だったので、、、、やっぱり警察が入るべきだったんだと
目が覚めました。
日常に何が何だか分からない状況が起き過ぎていて、マヒしてました( ;∀;)


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