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レビューばかり見ていると、「自分らしさ」が失われていく気がする

以前テレビで「毎日の献立をAIが自動で考えてくれる」アプリ(だったかサイトだったか)を観て、「ほぅ、便利な時代になったもんだ」と思うと同時に、「うちらは自分の食べたいものすらわからなくなっていくんだろうか」と恐ろしくなった。

うちの母も「今日のごはん何しようかな…」と栄養バランスや肉・魚の割合を加味しながら毎日献立を考えていたので、そんなアプリがあったらとても助かるとは思うんだけど、「献立を考えることに対して頭を使わなくなっていく」のもまた怖いな、と思う。

スティーブ・ジョブズが毎日の服選びにかかる時間を短縮するために同じ黒い服を揃えていたのは有名な話だが、それは選択にかかる時間をカットしているようで、一応「毎日黒い服を着る(多分ブランドも統一しているはず)」というのを「選択」してはいる。

わたしのまわりにいる「ミニマリスト」と呼ばれる人たちも、洋服の選択肢こそ少ないものの、自分で選んだこだわりの服たちを揃えているから、ちゃんと「選択」している。

「自分で選ぶ」って結構大事なことだ。

学校も就職先も将来の夢もやりたいことも、自分で選ぶからこそ納得ができる。反対に、「こっちのほうがいいんじゃない?」と他人に「選ばされたもの」は納得できないし、後になってから後悔したり、他責にしたりすることもある。

でも、最近わたしたちは何をするにも誰かに「選ばされている」ような気がしてならない。

何か気になる商品があったとしたら、自然とレビューをチェックしてしまうんじゃないだろうか。店頭で商品を手に取りながら、スマホを見て情報を調べている人も少なくない。信頼しているYouTuberがオススメしていたら迷わずそれを選ぶ。

そうやって手に入れたものって、果たして「自分で選んだもの」なんだろうか。

そう思っていたとき、こんな記事が出た。

わたしがファーストシーズンからずっとリアルタイムで追っている大好きな番組『バチェラー・ジャパン』の司会を務める坂東さんの記事だ。

情報が氾濫した現代って、「人が選んだもの」を選んでしまう人がけっこういらっしゃるんですよね。「流行ってるから」「モテてる人が着てるから」みたいにね。

でも、「人が選んだもの」を選択していると「自分の本質」が出来上がっていかないんです。それが一番怖い。

たとえば僕の着てるスーツを「いいな」と思っても、人によっては似合わないかもしれませんよね。それを繰り返していても、「自分」の魅力にはつながらない。

だからこそ今は、「自分が求めているもの」を選択することが、自分の本質的な魅力を高めることにすごくつながってると思うんですよね。

「本当に自分が思ってますか?」「本当に自分が感じてますか?」と改めて自分に問うことが大切な時代になっている気がします。

あ〜〜〜思っていたことを全部言語化してもらえた!とスッキリした。

たとえ、世間のレビューが辛辣でも、「自分がいいって思ったらそれでいい」という気持ちを大事にすること。

反対に、たとえ世間が大絶賛していても、「自分が嫌だって思ったら支持しない」ということ。

自分が進む道もそうだし、自分が身に付けるもの、家に置くものひとつ取っても、そうやって自分で選んでいくことで価値基準ができるし、「自分はこういうものが好きで、こういう価値観を大事にしているんだな〜」というのがわかると思う。

小さいかもしれないけど、「自分らしさ」ってそういうところで形成されていくよな…と思った。

そんなわけで、日々ネットでポチポチしては「なんか思ったのと違うな」というファッションや小物に出会ってしまってメルカリしていたりもするけど、そういうトライ&エラーを通して、比較的「これだ!」ってものに出会えている自分はしあわせなのかも、と思いました。

自分で選ぶことを忘れない。

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