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なぜわたしたちは大人のくせに、アホみたいに飲み散らかしてしまうのか?

「ビール、買いにいこうよ」

もうそろそろ限界かもしれない。「遮光100%」と謳っているニトリのカーテンから漏れ出る光を受けて、うっすらと目を開けたのち、すぐに絶望した。時計を見なくてもわかる。今はぜってぇ昼過ぎだ。

「何度もがいても、同じような朝(昼)を迎えてしまうの…どうして…」とループものの主人公のようなセリフが脳裏をよぎるが、ここは雛見沢ではない。東十条である。

少し前にソーシャルアパートメントに引っ越してきた。

もともと集団行動が死ぬほど苦手なわたしが、ようこんな場所に住もうと思ったなという話だし、未だに友人に話すと「大丈夫そ?」と心配されるのだが、案の定全然大丈夫ではない。

このソーシャルアパートメント、なんか知らんが酒気を帯びている者が多いのだ。初めてラウンジを案内されたとき、各々が缶ビールをグビグビと飲んでいることにびっくりした。

一方で、この文化は好都合だった。なぜなら、コミュ障なわたしでも酒パワーがあれば人並みに会話ができるようになるからである。ぜひとも、早いうちに杯を交わさねばなるまい。…と思っていたのが大きな間違いだった。

みんな、こちらの想定していた10倍は飲む。ロング缶を買ってきて、秒で空けたと思いきや、「買いに行こうぜ!」とまわりを巻き込んで徒歩20秒のセブン("うちらの冷蔵庫”、と呼ばれている)に足を運び、またロング缶を買ってくる…という行為を3時までエンドレスリピートしている。

「あと1本だけ!」とか言いながら、延々とラウンジに居座りつづけている。アホなんちゃうか。アホな大学生なんか。

そんな生活を続けて1週間。毎晩毎晩それなりの量の酒を飲むので肝機能が全然回復せず、ライフポイントがゼロの状態で仕事をする日々が続いた。もう限界だ。早急に禁酒せねばならぬ。…と思っても、「飲もうよ!」と誘いを受けるや否や「オッケー」と笑顔で返す自分がいる。

この現象は何なんだ。なぜ自分は悲鳴を上げる体を無視して、カチンと鈍い缶の音を鳴らしつづけてしまうんだろう。

ひとりの集合体でしかない、わたしたち

最近、『いちばん好きな花』というドラマを観た。「男女の友情は成立する?」をテーマに、違う人生を歩んできた4人の男女が紡ぎ出す愛の物語だ。その1話目はとても印象的である。

学生時代に「2人組を作ってください」がうまくできなかったこと。「いい人」にはなれるけど、1番には選んでもらえないこと。そんな想いを抱えたまま大人になって、それなりに社交性を身につけて生きているけれど、どことなく孤独や寂しさが拭いきれない4人が出会うところから物語は始まる。

「2人組を作ってください」が怖い。その感覚を自分以外が持ち合わせていたことに驚いてしまう。あぶれた者同士で目を見合わせ、それでも相手に失礼だから「渋々」感を必死に隠して机を寄せた経験を、そんなに多くの人がしているものだとは到底思えなかった。

それが今、大衆の共感を集めているとな。みんな一体全体どこにいたんだよ!! もっと早く教えてくれよ。所在なさを感じていたあの頃に、「わかるぅ〜。マジしんどいよね〜」と一緒に笑い飛ばしたかったわ。

それはさておき、「いちばん好きな花」の4人はどこかソーシャルアパートメントの住人に似ている。ひとりでいるのは寂しくて、でも特定の大切な誰かがいるわけでもない。そんな人たちが集まっている気がする。共通しているのは、「2人」じゃないってこと。

2人というのは難しい。あらゆる人数のなかで、2人というのは特殊で、2人である人たちには理由や意味が必要になる。2人は1人いなくなった途端、1人になる。もともと1人だったときより、確実に孤独なひとりになる。


わたしもそうだ。同棲を解消して実家に帰った。でも、父と母と食卓を囲んでいると、実家はあくまで「前の家族」で、わたしは新しい家族を作らなくちゃいけないんだという現実を突きつけられた。2人にならなくちゃ。2人を作らなきゃ。そんな焦燥感があったことを覚えている。

最初に引っ越してきたとき、ラウンジに降りるのが怖かった。だって、ここに住むような人たちはきっと、圧倒的な陽キャで、誰とでも仲良くなれる人たちだ。わたしとは人種が違う。絶対にわかりあえねぇ。そうやって斜に構えて一線を引く準備をバチバチにしていた。でも、毎晩のように飲み明かす姿を見て気付いたのだ。みんな、同じように1人なんだと。

「3人以上の複数人というのは、1人の集合体でしかない」。

『いちばん好きな花』の一節が心に残っている。実家から自立して、1人暮らしに虚しさを覚えて、同棲を解消して、お別れをして。さまざまなバックグラウンドを経て、今わたしたちは同じ1人なのだ。ひとりで生きていけるし、ひとりでも楽しい。でも、ほんのりと孤独を抱え、夜な夜な酒を飲む相手を求めている。

1人が集まると、そこに会話が生まれる。杯を交わすだけで笑みがこぼれる。そして、おかえりと言ってもらえる家になる。そこではいろんな境界線が混じり合って、どうでもよくなって、溶け合っていく。その集合体のなかに身を置いていると、何だかこのままでいいんじゃないかという気分になってくる。

だから、わたしたちはラウンジに集まるのだ。うん、そうに違いない。そんな言い訳を思い浮かべながら、今日もシン・レモンサワーを煽る。「今日、飲める?」とLINEをしてみる。

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