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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2019年5月の記事一覧

「入り口」をたくさん作ろう

ありがたいことに、最近いろんな依頼が来る。 しかも、取材から、レポートから、グラフィックレコーディングから、登壇から、さまざまな案件だ。 器用貧乏であることにコンプレックスを抱いていたこともあったけれど、器用貧乏であることはリスクヘッジにもなるんだな、と思った。 たとえば、ブログだけ書いていたのならば、Googleアップデートで死ぬこともあるかもしれない。 自動書き起こしソフトができたのなら、イベントレポートがいらなくなるかもしれない。 技術の進歩と共に、そういった

「質問」はありませんか?

今日、Adobeさんにお誘いいただき、新しいアプリの紹介イベントに行ってきた。 https://milkprincess17.com/Adobe-Premiere-Rush そこで最後に、「質問はありますか?」との問いかけがあった。 だいたいイベントやセミナーの後はお決まりのように聞かれると思うが、今日はたまたまシィンとなった。 話の内容がわかりやすすぎて質問がなかったのかもしれない。あるいは、勇気が出ないのかもしれない。 わたしも本来なら「シィン」側の人間だからわ

普通のことをしていても、しゅごくなれる秘密

先日ファンの方(だと思っているよ!!)に、 「ゆぴちゃんは普通のことをしているのにファンがいるからしゅごい」 と言われて、「それな」と思った。 実はわたしは大して特別なことをしていない。 そんなに稼いでいるわけでもないし、アグレッシブなこともしていないし、まだ大した結果も出せていない。 日中はパソコンで文章を書いて、おなかがすいたらごはんを食べて、眠たくなったら寝る。 ツイートも、よく見てみると「シンガポール行きました」「早起きしたよ」みたいな日常ツイートが1番多

器用貧乏が全方面にキラわれる理由

わたしはめちゃくちゃ重宝される。 まず、タイピングが速いし文章が書ける。 写真が撮れるからカメラマンをアサインしなくていい。 フォトショが触れるからアイキャッチも作れる。 イラストや簡単なマンガも描ける。 バンドをやっていたので、歌がうたえて人前でMCをすることもそんなに抵抗がない。 ブログも書いている。 まだ発展途上だけどグラフィックレコーディングもできる。 何だかんだ言って便利な存在である。 でも、ものすごく嫌われているとも思っている。 全領域の人に

やりたいことと、やったほうがいいこと

今日、自己理解について勉強をしている友だちと話した。 自分の心の声に耳を傾けられる人は意外と少なくて、「やらなくちゃいけない」「こうしたほうが自分の得になる」と考えてしまう。 それは、安定のためでもあるし、将来のためでもある。 じゃあ、今やりたいことは? これを頭じゃなくて心で感じることが大事なのだ。 でもわたしは、言語化するのが怖かった。 もともと自分のことを俯瞰してみる癖があるので、自分のためというよりは、総合的な最適解を考えていた。 内向的だけど、それじゃ

“知識”は生きるジャマになることもある

若くしていろんなものを知っている人と話すことがたまにある。 たくさんの本を読み、博識で、聡明で、引き出しが多い。どんな話題にも話を合わせることができるし、いちいち詳しい。 でも一方で、ものすごく達観しているなぁ、と思う。 人生を何周もしてきたかのような目をして、きっと私が考えていることも、何を言おうとしているかもお見通しなんだろうなと思った。 「どうしてだろう?」という疑問から学びは始まる。疑問を解決するために本を読み、人に聞き、答えがなければ考える。 *

規律は足枷じゃなく、スニーカーだった

わたしたちは物心がつくころから、時間割に沿って生きてきた。 散歩の時間、ごはんの時間、お昼寝の時間、おえかきの時間。 幼いころは何の疑問も持たず、それに沿って生きてきたけれど、いつしかそれを窮屈に感じるようになっていく。 眠たい目をこすりながら朝会に出席して、びっしりと埋まったカレンダーに辟易して、定時をまだかまだかと待ち構える。 でも、フリーランスになってそれらから解き放たれてみると、規律のない世界はカオスだった。 急ぎの予定がなければ1日中寝られてしまう

不自由を作ることで、自由が生まれる

シンガポールに家族旅行に行ってきた。 好きに移動もできないし、ネットも繋がらないし、不自由だったけど、ある意味でものすごく自由を感じた。 今はもう、スマホを使うことが生活の一部になっていて、スマホが発明される前、一体何を触っていたのかが思い出せない。 いや、別に何も触らなくても良かったのかもしれない。 そうやって行動を制限された結果、目の前にあるものと向き合わなくてはいけなくなる。 言葉にすると別に特別なことじゃない。 綺麗な景色をぼんやり

努力とは、取捨選択と時間の使い方である

ときどき思う。 物理的にはみんな与えられている時間は平等なはずなのに、どうして自分にはこんなに時間がないんだろう?と。 そして気付いてしまった。 自分は、めちゃくちゃ時間の使い方がヘタクソだと言うことに。 予定を大量に詰め込みすぎてパンクする。自分の作業時間を見誤る。並行して進む様々なプロジェクトのなかから優先順位を無視してやりたいことから手をつける。 結果、「あれ、全然作業が進んでいないぞ?」となる。 急いで作業をすると何だか疲れるし、い

“内向的な自分”とうまく付き合う方法

内向、外向という言葉を意識しはじめるのはいつだろう。 教室で誰とも分け隔てなく話せる友人たちを見て、自分もああなりたいと羨んだとき。 人前に立ったとき、足が震えて喉がカラカラに乾き、言葉がうまく出てこなかったとき。 自分で決めたはずなのに、人の集まりに向かう足が重く感じてしまったとき。 ああ、自分はいわゆる少女漫画の主人公のような、「明るく笑顔で活発な人」にはなれないんだなと絶望した。 しかし、自分だけが特別なのだと思っていたけれど、意外と内向の人はたくさんいた。

テキトーな選択がテキトーな人生をつくる

久しぶりに寝る前に映画を観た。 部屋をちょっと暗くして、好きな飲み物を用意して、サスペンスやホラーではなく、ちょっと心があたたまるような映画を選んで観た。 たったそれだけ。 たったそれだけで、1日の充実感がまるで違った。 フリーランスになってから「選択」をすることが増えた。 何なら、今の私には「選択」しかやることがないのかもしれない。 仕事をやるかやらないかの選択。 誘いを受けるか断るかの選択。 早起きをするかしないかの選択。 そのなかで、自分がなおざりにし

「自分はアホだ」と思えばアウトプットできる

わたしは日々絶えずアウトプットをしている。 何なら、「アウトプット」という言葉ができる前からアウトプットをしていると思う。 別に宿題が出たわけじゃなくても、本を読んだら「読書感想ノート」にまとめ、家族旅行中は旅行の様子を絵日記に書き、新しい歌を覚えたら歌詞をひたすら紙に書いていた。 だから、思ったことや感じたことを書き記しておくのが全く待って苦じゃない。苦じゃないどころか、やめるほうがしんどい。 なぜなら、わたしはアホだということをものすごく理解しているからだ。

主張していかないと、すぐに死ぬ

今日はものすごくクソなことを言おうと思う。 新R25ではネタ会議というものがある。 でも、私はこれがどうも苦手だった。 ぜんぶ「自分ごと」になりすぎてしまって、 世間からのウケと乖離してしまうことが多いからだ。 端的に言うと、出すネタがぜんぶ暗いのだ。 ネガティブをポジティブにする方法、とか人見知りでもコミュ力をあげるには、とか、自分らしく生きるにはどうすればいいのか、とか。 自分のお悩みを救ってもらうようにネタを出してしまうのだ。 そんなネガティ

自分のために、自分を演じてみよう

先日知り合った人たちと「人見知り」の話になった。 わたしは自分からは人見知りとは最初に言わないが、話の流れで「人見知りなんだよ」とこぼすと、えっ!と驚かれる。 そりゃあ、驚くよなぁと思う。 わたしもわたしで随分と人見知りを隠すのがうまくなったなぁ、と喜んでいるくらいだ。 で、どうしてこれができるかというと、それはわたしが声優を志していることが関係している。 声優は、声の仕事とはいえ、根本的には役者である。 倒れたときの声を出せるようになるには、実際に