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骨折物語 その9 ~手術室後の病棟看護~

手術を終え病棟に戻り、麻酔が切れてくると痛みとの格闘となります。この度の入院で最も看護師の皆様にお世話になった場面となります。

私なりに術後の看護の問題を提示してみました。
#看護師を目指す方には読んでいただきたいです

術後

#観血的整復固定術による組織損傷による 『急性疼痛』

#身体的 (痺れ・疼痛・浮腫)に伴う『安楽障害』

#手術 (外科的処置)に伴う『組織統合性障害リスク状態』(左足背の知覚鈍麻(痛み刺激、触覚)、浮腫)

#手術後の安静臥床による 『血圧不安定リスク状態』(危険因子:起立効果)

 

 

【手術後の経過】

〈手術台から病棟のベッド移動〉

手術室からベッドで病棟の病室に戻った。手術台から病棟から搬入した手術後のベッド作成がなされたベッドは、酸素チューブ酸素ボンベ、下肢の血栓予防ポンプが設置されベッドは持参した大判のバスタオルが敷かれていた。

このベッドへの移動は、手術室にいらした医師、看護師方々が麻酔が効き全く自由が利かない私の下半身の安全を確認し、身の回りについた点滴や排尿カテーテルが絡まないように声を掛け合いながら、静かに速やかに、落ち着いて私の身体は持ち上げられ移動できた。

 

〈ベッドに乗せられ病室へ〉

手術室に迎えに来てくださった看護師は、速やかに私に担当であることを挨拶してくださり、深夜勤の看護師と変わるまで担当であることを告げた。

この移動を担当してくれた看護師さんが、病棟移動後の2時間まで、定期的に私の血圧や体温、脈拍を測定し、手術の部位(左足首)の観察をしてくれていた。病棟に帰室した時点での痛みについて看護師さんから聞かれたが、この時点では全く痛みは感じず、麻酔によっての足のしびれ、自分の足の感覚(触覚も痛覚)の消失した状態として把握していた。

 

〈血圧変動への自己対策〉

手術後2時間は看護師さんが適宜30分おきに、観察をしてくれていた。

私自身、帰室時点で全く痛みも感じていなかったので、ベッドのコントローラーを使って自分の体を45度ほど起こし、自身の血圧の変動に対して注意を払い、翌日帰宅と言うことを念頭に、ベッドをフラットにして、ただただ横たわっている状態衣を避けようと思っていた。

草間彌生さんの作品

 

※私がなぜ、安静状態の時のベッドの角度にこだわるのか。ちょっと体験談を記載します※

早期離床と言う観点で言えば、私の過去の体験がこの観点を抱くきっかてとなっている。

 

初産で、おなかの中の子どもは逆子であった。逆子体操をしても、おなかの中で子どもは,大仏の様にどっしりとあぐらを書いて、鎮座ましましていた。結局、私は帝王切開をした。その時の傷の痛みと比べたら、今回の足関節の観血的整復固定術の痛みの方が、短時間に一気に痛みの頂点に達し、痛みの強さは、押し寄せる波のような周波で感じた。

麻酔は、同じ局所麻酔。腰椎麻酔だった。

しかし大きな違いはベッドの構造。初産の時のベッドは、まだ電動ベッドが主流になっていなかった。よって、自分でバッドの角度を操作し、頭を起こしたり下げたりすることができなかった。つまり誰かに依存しない限り、私のベッドは常に水平位を保ち、私は天井を見つめ横になったままでいるしかなかった。

帝王切開の翌日、朝の食事の玉ねぎの味噌汁の香りで、唾液が流出し、私の食欲はピークに達し、「早く食べたい」

と思っていた。

 

しばらくすると、食事のトレーをもって、看護師が病室に入ってきた。

優秀な看護師は、私の部屋のオーバーテーブルにお膳を置き、私の頭部を一気に90度になるようにベッドアップを行った。

 

この瞬間、私はめまいと吐き気に襲われ、帝王切開によって傷がある腹部は吐き気で、激しく胃からものを押し出すように勝手に筋肉が収縮を繰り返した。

 

お腹に傷がある私は、吐き気をこらえ、痛みを我慢し、胃内容部に何も入っていないのにもかかわらず、嘔気によって繰り返す腹部の収縮に耐えるしかなかった。

 

ナースコールを押し、ベッドを水平に戻してもらっても、こののち、この気分の不快は一日つづいた。出産後の喜びよりも吐き気と痛みと戦った産後の1日の体験がある。

 

あの、優秀な看護師の配慮の無いベッドアップの手法で、私は脳貧血を起こしたのだった。

これによってめまいを起こした。

いくら若くとも、まるまると思う今どのような状況でそのまま過ごしていたかとか何が起こるかを考えないと、食事を24時間近く、同一体位で過ごし安静臥床にしていた私の血管系は、急なベッドアップに耐えられず、頭部の血液は一気に重力にあらがうことなく、下へ下へと流れていった。このような体験が手術後の患者のベッドアップを段階的に行い、血圧に配慮し観察しながら、実践する必要性を感じるきっかけとなった。

 

この文章から、ベッドを起こす事と吐き気やめまいの関連性には気づかない方がいらっしゃると思うが、人は長時間、横になったままでいると、頭を高くしたとき血液が下に流れること、それは水が重力によって上流から下流に流れるように起こることを想像していただきたい。

 

上記の体験、対象への看護経験から、この度の骨折体験手術後のベッドの角度を自己コントロールし脳貧血の発症を予防することが、自ら必要であると感じていた。

 

術後の朝食が問題なく摂取でき、吐き気や嘔吐がないことを確認し、退院許可が出るからだ。

と言うことが確認されない限りいくら2泊3日の退院予定といってもそれは可能にならなかったと思う。

 

#手術後の安静臥床による 『血圧不安定リスク状態』(危険因子:起立効果)

 

〈痛みの出現がない時は余裕ありLINE〉

私は、手術が終わってから手術をすることを知っている人たちに無事に終わったと言う連絡をLINEを介して行った。

このよう余裕があり、従妹からは、

「腰椎麻酔で手術をした後は、スマホを使って、連絡だきるのね」

と驚きの返信があった。

 

〈痛みの自覚とコントロール〉

手術後2時間経った頃、徐々に私の足には感覚(知覚)が戻り、足首の鈍い重だるや手術した足の下腿の皮膚が深部からの押し出す力で限界まで引っ張られるような圧力を感じていた。

 

例えば、夏場、虫に刺されたときに赤く腫れる。この時に感じる皮膚の発赤と熱感が、手術した足の膝から下全体に広がる感じだと想像してほしい。

 

看護師に痛みのコントロールの薬剤について質問した。

看護師『ソセゴン15㎎とアタラックスP25㎎の点滴です。』

 

以前の帝王切開の時の鎮痛薬はペンタ陣30㎎で、わずかに眠れたのを思い出し、上記の薬剤の利用をお願いした。

心の中は、少しでも痛みが和らいでほしいという思いだけだった。

 

この時の痛みの自覚は、まだ10段階の2位に自覚していたので、

私『まだ我慢できるので、急がなくても大丈夫です。』

ところが、こんな余裕があったのは、ほんの数分だった。

あっという間に、10分の2と評価した痛みが、たしか1分後には、10段階の10と感じる痛みが一気にやってきた。私はもう自分の身体を静か横たえ、天井を眺め静止していられず、海老のように丸まり、痛みを感じる足を抱え、ただ小さく体を丸め、声を出す気力も失い身悶えていた。

 

点滴を持って看護師がやってきたのは20時30分、その点滴が滴下されるのを見つつ自分の中では、

「ソセゴンが体内に入っていくのだから痛みは徐々に和らぎ少し眠りにつくことができるかもしれない。」と考えていた。

ところが全くこの点滴によって、私の感じている痛みが和らぐ事はなく、点滴の滴下を見つめて21時30分。点滴が終了しても痛みは、10段階の10。声にならない声を抑え、お腹に力を入れ、耐えに耐え、気持ち悪いなと言う感覚を抱いていた。

この気持ち悪いと言う感覚は痛みを我慢するが故に、お腹に力を入れ続け踏ん張っていることから自分の胃を圧迫し、気持ち悪さを引き起こしていたのだと思う。

 

痛みの軽減がないことを病床にやってきた看護師さんに伝え、次の疼痛コントロースの薬剤を確認した。

点滴を使うかあるいはボルタレン50mg(座薬)を使うかと言う選択があることを知らされた。

この時痛みに悶えている私の血圧は100mmHgを示し、手術室に向かったときの160mmHgと比べれば、血圧は低下していた。

看護師は、私の血圧の低下を気にし、座薬を使うことで血圧のさらなる低下を心配していたが、痛みからくる一時的な下行と私なりに判断し、座薬の使用をお願いした。

 

座薬の使用により、痛みの強さは、10段階の10から5へと落ちついて、少し眠ることができた。

1時間ほど目を閉じ眠っていたと言うことを、自分の腕時計を見て確認し、深夜0時から水分摂取可能と医師の指示があることを思い起こしていた。

 

〈水分摂取の意義〉

翌日の朝食が出るまでの間、胃に何も入れず突然朝食から胃にものを入れることはなるべく避けたかったし、水分摂取をして吐き気や消化機能の問題がないと言うことを自分でも確認したかった。

痛みが座薬の使用で落ち着いてきた私は、自分の身体に挿入されている排尿管理のバルンカテーテルのルートが折れ曲がっていないか、尿の性状は透明か、点滴の注入量と排尿量のバランスはとれているかなど、観察する余裕が出てきた。尿は透明で混濁もなく綺麗であると言うことに安心した。

 

ところが、翌朝の自分の排尿を見たときには、血液が混入しバルンカテーテルによって尿道が刺激され血液が混じっているとアセスメントをした。一刻も早く必要のなくなったバルーンを抜いてほしいと言う気持ちで看護師が来るのを待っていたと言うのが翌日の朝の実情だ。

 

2021年12月23日木曜日0時。

看護師に自室の冷蔵庫から水を出してもらい飲もうと思った。看護師さんは私をベッドフラットで横たわったまま、ストローを使って飲むことを考えていたようだが、私は自分で頭部のベッドアップをし、約45度にした。優しい看護師の気持ちはわかるのだが、私は本日退院する患者。じっと、ただ横になって天井を眺めて寝ていると言うことは、手術をした患者の安静面では妥当だが、私には退院を見据え、循環動態を正常に機能させることが優先されると考えた。

早期離床早期退院と言うからには、患者の意識が戻り患者自身が動ける患者自身が操作できるのであればなるべくベッドはフラットにしておくよりは呼吸楽にできるように、横隔膜が下行し、肺実質が拡張しやすい、ベッドアップの状態を意識していくことが重要だと考えている。

 

〈退院当日の回診〉

翌朝、執刀医で担当医は、8時台に病室に表れ、手術した足の観察をし、創部のパットを張り替えてくれた。

医師『傷も問題ないので、今日退院です。』

 

この医師の言葉で、退院は決定となった。

 

〈バルンカテーテルの抜去〉

医師の回診後、日勤の看護師により膀胱に留置してあった、バルンカテーテルが抜去された。

同時に、右手前腕に挿入されていた点滴も抜去された。

私は点滴を抜いた時に退院可能なように、手術着から退院できる着衣に着替え終わっていた。

腕に点滴の針や輸液も滴下されていたが、そこはできる事はやってしまった方がいいと思い、着替えていた。

 

〈急性期看護師への感謝〉

2泊3日の入院生活そして手術体験であったが、急性期の看護における看護師さんの役割は短時間に集中していると言う事は身をもって体験した。

そしてその看護師との何気ない会話、看護師さんの痛みに対する気遣い、この痛みに対する医師の指示。それを補助するための迅速な対応など、看護師に助けられたと言う気持ちは大きく抱いている。

何気ない会話と言うような事は病気の事だけを話をするのではなく、これまでどんなことに関心を持って何をしてきたのかとか、その人自身に関心を持つような会話がうまくできる看護師に、深く引き込まれるような感じを抱いた。

また、患者に対する声のかけ方、その丁寧な言葉の選択と言うものはとても大事であるが、その言葉を使うときの表情や声、看護師の伝える手法からその人の心根を患者は細かく観察していると感じた。

 

手術の晩は浅い眠りで、看護師の巡回時目が覚めていた。準夜勤から深夜勤の看護師の交代も患者は感じ取っている。深夜勤の看護師は私が起きているのを目が合って知ってはいたが、あえて声をかけようとはしなかった。

多分大部屋であったし、手術後の患者への気遣いなのだと感じた。

 

夜が明けて、6時の検温の時に何気なくこういった。

『夜、眠れずに起きていたのはわかったんですが、あえて声をかけませんでした。あまり眠れなかったんじゃないですか。』

 

上記のような、優しい気づかいのある言葉をかけてもらうと、患者はほっとして、看護師に全て預けたくなってしまう気持ちを抱くのも、実感した。

 

〈退院〉

私は、夫が外来から持ってきてくれた車椅子に乗り、病室の荷物は夫に運んでもらい、2泊3日の病棟の入院を終え帰路についた。入院が必要な状況はどうしても避けられないこともあるだろうが、私にとってはあの4人部屋でごはんが出てくるのを待つ生活より、自分自身の家庭環境の中で自分のペースでやりたいことができる自由な時間と空間がある幸せを大切だと思わすにはいられない。

 

この度入院でお世話になったいよう従事者の方々、同室者の皆様、入院を知らせご心配くださった皆様、ありがとうございました。

今は、自宅だのリハビリを日課にしています。

 

 

2021年1月5日(水)
                                MILK


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