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細かなことが気になる日本と、いろんなことがどうでもよくなるブルガリア

約半年間の日本滞在を経て、ブルガリアへ帰って来ました。
22歳で海外へ留学して以来、こんなにも長く日本に居たのは初めてのことでした。

日本での暮らしが日常になりつつある中、正直なところ、このまま日本で暮らしていくのも良いかな、と思い始めていました。世界中見渡しても、日本のように安心安全便利に暮らせる場所はそうそうありません。食べものは美味しいし、街は整備されていて美しく清潔だし、サービスは丁寧だし。細かな気配りが行き届いた素晴らしい国だと思います。だからこそ、日本を離れるのが寂しいな、と思っていました。

そんな中、帰国の途へ向けて羽田空港に到着し、見慣れた外国人たちの集団を横目に見ながら、自分のコンディションが自然と海外在住モードにシフトして行っているのが分かりました。

そしてブルガリアのソフィア国際空港に降り立って感じたこと。それは、『あー、なんて自由なんだろう!!』ということでした。

これは今回に限らず、毎度お馴染みの感覚です。ふっと心が緩むのです。日本に居る時に心配していたこと、気にしていたこと、イライラしていたこと、全てが一瞬にしてどうでもよくなるような。なんともおおらかな自分になれるのです。

日本に住むのも良いかな、と思った自分の心に嘘はありませんが、ブルガリアに着いた途端、「あー、帰って来れる場所があって良かった。」と改めて思ったのでした。


ブルガリアでは、「他人をあるがままに放っておく」という風潮があります。他人が何をしていようが、何を考えていようが、何を言おうが、何を着ていようが、全てはその人の自由であるという考えがあります。要するに、人目を気にしない、ということです。

一方で、日本に居ると細かなことが色々と気になり始めます。極端な話、ふと目に留まった白髪一本や、シミひとつまで、色々と気になり始めます。笑 逆に言うと日本はそれくらい平和なのです。重箱の隅をつつきたくなるくらい細かなことが気になるということは、それ以外のことが満たされているからでもあります。

日本の便利安全なシステムは、ひとりひとりの時間厳守やルール遵守といった努力の上に成り立っています。でも実際には便利さと引き換えに、みんなが少しずつストレスを抱えています。ほとんどの人にとってはそれが当たり前のことになっていることでしょう。

人目を気にして、言動や身なりに気をつけたりするのは日本では当たり前のことです。私は日本人なので、日本でのその当たり前の感覚にはすぐに馴染めます。(夫は馴染めませんが。笑)だからこそ、ソフィア空港に到着した途端、それらのストレスから一気に解放されて心が緩んだのだと思います。


ここで少し音楽の話をすると、私たちが指導するときいつも言っていることに、「一流の音楽家とそうでない音楽家の違いは、ディテール(細部)にこだわれるかどうかだ。」というのがあります。

けれども、これは日本ではとても難しいのではないか、というのが今回気づいたことです。

細かなことを気にしたり、人目を気にしたりするのが当たり前になっている日本での暮らしは、社会からの圧のようなものを多かれ少なかれ感じやすい環境と言えます。

そんな中で、さらに「細部にまでこだわる」というのは、ストレスの上にさらにストレスが加わるような、極端に振れてしまうことにもなりかねません。緊張状態の上にさらに緊張が加わるようなことです。

一方ブルガリアでは、平素から緩んでいる状態です。そこからグーっと細部にこだわっていくというベクトルは、振り幅が効いてむしろ心地良いくらいのことだったりします。普段から緩んでいるからこそこだわれる。緩んでいるからこそ正しい緊張を生み出せるのです。


『日本人はみんな緊張ピープルだね。』
『日本人はなんでそんなに必死に演奏するんだ。』

これはイリヤンが言っていたことです。それくらい日本人にとって緊張状態が当たり前の状態になっているということです。そしてその緊張状態というのは人の視野を狭めます。

日本で暮らしていたら仕方のない部分もあるかもしれません。だからこそ、身も心も緩む時間は必要です。小さなことを気にせずおおらかでいることは大事なことです。おおらかでいられるからこそ、細部にまでこだわった仕事ができるんですよ!


最後に、私たちの友人のヴァイオリニストの言葉を紹介します。彼は世界的にも大成功している素晴らしい音楽家です。

『僕は若い頃、音程がズレることがよくあったよ。けど最近に至ってはズレるどころか、全く違う音を弾いてることがあるよ。』

この言葉でクスッと笑えた人は、心が緩んでる人かもしれません。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

今日も良い1日を😊

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