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「音楽ビジネスとは容赦なく残酷だ」マスタークラスにてイリヤンの話

レッスンに入る前にイリヤンが生徒さんにおもむろにこんな話を始めました。

今僕はこうして、音楽大学でマスタークラスなんてものをやってるけれど、正直なところ、何のために生徒たちは音楽大学に通ってるんだろう、と思うときがあるんだ。

音楽大学の学生たちの中には、音楽以外の分野を学んで、それを仕事にした方が合っている人たちだってたくさんいるはずだ。

世の中には、音楽大学を卒業する生徒たち全てを受け入れるだけのポジションは存在していない。オーケストラの席にだって空きはない。

音楽大学というシステムが誕生したことによって、音楽家っぽい人が量産され過ぎて、世の中の需要と供給のバランスはすっかり崩れてしまっている。行き場を失った音楽家が溢れているということだ。

例えば、ニューヨークにはたくさんの俳優がいるけれど、彼らの多くはレストランやバーなどでウエイターをしている。いつの日かチャンスがやって来ると信じて、オーディションを受け続けている。 けれども、マーケットはそこまでたくさんの数の俳優を必要としてはいない。それに彼らのほとんどが、似たようなよくある俳優たちばかりだ。

音楽家だけに限らず、俳優、ダンサーたちにも言えることだけれど、僕たちのような仕事は、物質社会の世の中においては一番最後に必要とされる職業だ。人によっては、あってもなくても良いような職業だとすら言える。

だからこそ、音楽をビジネスにしていきたいのであれば、ただ良い音楽家であるだけでは不十分だ。「飛び抜けて良い音楽家」じゃないといけない。世渡り上手で、時に狡賢く、人に媚びたりする術だって必要だ。大事な局面でタイミングを逃さず、相応しい場所に居合わせるも大切だ。

それは、普段は生活のために音楽以外の仕事をしている人たちにとっても同じことだ。どんな形であっても音楽家であり続けたいと思うのならば、やはり「飛び抜けて良い音楽家」でなくてはいけない。

そこで自分に問いかけてみて欲しいことがある。

自分はそういう道を本当に望んでいるのだろうか?

これからクラシック音楽は益々ラグジュアリーなものになっていくだろう。

世界のクラシック音楽業界はとても残酷だ。世の中は常にヤングスターを求めている。バイオリンにおいては10歳〜12歳。15歳ではもう若くない。25歳でスターになることはほぼ不可能だ。もちろん実力だけでスターになれるわけではない。容赦のない世界なんだよ。

音楽をビジネスにしていくということは、そういう世界で生き抜く覚悟が必要だということだ。

一方で、僕が習ったチャーリーナイディック先生はこんなことを言っている。

『音楽家は年齢を重ねるごとに、幾つになっても上手になっていくことができる。』と。

ここでもうひとつ自分に問いかけてみて欲しいことがある。

音楽大学を卒業して、さらにこの先歳を重ねていきながら、成長し続けることのできる自分であるために、僕たちは何をどうしたら良いだろうか?

これは壮大なテーマだね。すぐに答えは見つからないだろう。
音楽大学を卒業して、上手になっていける人の方がうんと少ないからね。

🔹🔹🔹
ここでレッスンへ

まずそもそも、ウォームアップってなんだろうね。

惰性で、自動演奏のように、あまり何も考えずに音を出すことはウォームアップとは言わないね。

低音域から高音域まで、美しいサウンドをプロデュースできるように、自分の状態を整えること。

全ての音を美しいサウンドにすること、美しいアーティキュレーション、体の使い方、息の発音の仕方まで。その全てを可能にするために自分の状態を整えることをウォームアップと言うんだよ。

本来ならば、ウォームアップだけで、一日中時間をとっても良いくらいのことだ。

多くの人は正しいウォームアップについて知らないんだよ。それではいくら練習しても、良くなっていくことはない。

練習っていうのは本来良くなっていくためにするものだからね。

🔹🔹🔹
マスタークラスでのイリヤンの話の一コマを紹介しました。

もちろん全ての人が、プロの音楽家を目指して音楽大学へ入学するわけではないでしょう。けれども、何らかの形で音楽に関わる仕事をしていこうと思うのであれば、やはり「飛び抜けて良い音楽家」になっていかなければ、本当の意味で人を育てたり、人を喜ばせたりすることはできません。

よくある「良い音楽家」なら、世の中に溢れ過ぎているのです。
言ってしまえば、あってもなくても良い仕事なんですから、飛び抜けて良くなければ、ますます価値のない仕事になってしまいます。

一方で、チャーリー先生もおっしゃっているように、幾つになっても人は変わっていけます。自分の成長のため、喜びや幸せを追求していく道に音楽がある、という人もいるでしょう。そしてそれはとても素晴らしいことだと思います。

けれども多くの人たちは、良くなっていくための練習の仕方を知らず、報われない努力を重ねては体のあちこちを痛めたりして、心を落としているように思います。そして歳を重ねれば重ねるほどに、その悩みや苦しみは増していくことでしょう。

たとえ音楽を学ぶことが自己実現のためであったとしても、やはりそれは狭き道だということです。

けれども不可能はありません。正しい道で努力していくことができれば、幾つになっても良くなっていけます。


最後にイリヤンの言葉です。

たった1回のマスタークラスで僕ができることには限りがある。もっともっと助けてあげたいと思う生徒たちばかりだったし、できることならサポートを続けたい。でももし彼らが、今まで知らなかった世界を垣間見て、この先に希望があるかもしれないと感じられたとしたら、それはとてつもなく大きな発見で、価値のあることだと僕は思う。

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