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歌手はいつまでレッスンを受け続けるべきなのか?

大学を卒業して何年経っても歌のレッスンを受け続ける人は多くいます。幾つになっても、歌を続けている以上、常時信頼できる先生に声を聞いてもらうことは必要なことだと考える人が多いのだと思います。

けれども、いつまで経っても先生の耳を借りなければ、自分の発声に不安がある。新しい曲に取り組むたびに、先生に歌い方を教わらなくてはいけない。というのは不安からの習慣に過ぎません。なにかがおかしいと疑った方が良いです。

自分が受け身なままで自立しようとしていないか。その先生が教えることのできない先生か。そのいずれかだと思います。

先生の一番の仕事は、生徒を自立させて、1日も早く生徒を手放すことです。

歌手はいくつになっても歌のレッスンを受け続けなければいけないものだ、というのは必ずしもそうではないということです。

ちなみに私の場合は、もう何年も歌のレッスンというものを受けていません。フランコも「もうひとりでできるだろ?」と思っていると思います。

フランコ先生との関係は今でも良好で、折りに触れて相談をすることはありますが、定期的にレッスンを受けるということはなくなりました。

なぜなら、自分で自分の声をどのように取り扱うかがわかっているからです。声のメンテナンスに限らず、日々変化していく楽器(声)との付き合い方もわかっています。

普段の練習の中で、自分をより良くするための方法を見つけていくこともできます。そして、練習するたびに自分が上手になっているのも実感できます。

基礎が身についていれば、自分で自分を指導することができるようになるのです。

だからと言って、それは学びをやめるということではありません。学び方が変わっていかなければいけない、ということです。

ある程度の基礎が身についていれば、指揮者やピアニスト、他の楽器奏者から学ぶことの方が圧倒的に多くなります。

歌のことは歌の人からしか学べない、ということは決してありません。

確かに技術指導は、声の専門家である歌の先生の仕事です。けれども、そこから先の音楽を理解するというステージこそが、私たち音楽家が取り組んでいかなくてはいけない本題なのだと思います。

本当に素晴らしい音楽家というのは、音楽における全てのことを知っています。たとえばイリヤンであれば、コンチェルトを作曲することも、オーケストラを指揮することもできます。弦楽器、管楽器、ピアノ、歌まで、全ての楽器を指導することもできます。

なぜなら、イリヤンが音楽を理解しているからです。

楽譜を見れば、作曲家が何を言いたいのか、それを文章を読むように理解できるからです。それをどう表現すれば良いか、そのために必要な技術までがわかっているからです。

それが音楽を理解するということです。

歌の楽器である声は、音楽を理解した上で、その音楽に相応しい表現をするためのツールに過ぎません。

色々なカラーのサウンドを自在に生み出せること。アーティキュレーション、ダイナミクスなどを柔軟に表現できること。それら技術を音楽表現として成り立たせること。それらが自分の力でできるようになることが、音楽家として自立するということです。


ところが残念ながら、多くの歌手は心地よく演奏するための技術すら持ち合わせていません。発声に不安を抱えながら、そこでつまづいたまま、音楽を理解するというステージに上がっていけない人たちがほとんどです。とにかく音を並べることに必死で、先生に言われるがままに演奏をする、というレベルで止まっている人が多いように思います。

発声に何の不安もなく、美しい声で歌えるようになることはゴールではありません。そこは音楽を理解することができるようになるためのスタート地点なのです。

心地よく歌えもしないうちから、音楽を理解することは不可能です。つまり、ほとんどの歌手たちは、何も始まってすらいないのです。

レッスンを受けることで安心したい。自分ひとりでやっていても確信が持てない。という不安からレッスンを受け続けることには意味がありません。

先を見据えた上で、今必要なことは何なのか?その選択が正しくできなければ、変わっていくことはできません。

まずは声の技術を磨いていくことです。それが、その先の音楽を理解するという扉を開く鍵になるからです。

その扉の先には楽しい音楽の世界が広がっています。

音楽が本当の意味で楽しめるようになるのはそこからですよ!


それでは今日も良い1日を!

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