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橋本輝幸さんとの #交換日記の多発 (2)

返信をいただいてから、3週間が経ってしまいました。交換日記、2回目になります。
橋本さんは複数の方とやり取りされていて、他の方の文章も読むことができて、各々の個性や経験が異なるのでとても興味深く読ませていただいています。

他の方とのやり取りから

単語の性、言葉とジェンダー

英語が苦手、他の外国語はもっと苦手なので、性別による語形変化というのは、覚えるのが面倒な変化形という以上の意味はないのですが、ネイティブにとってはそのまま性別を示されるものなのですね。と、改めて思った次第です。
日本語で性別に関わるものとしては、男性一人称の名乗り方、使い分けが悩ましいというか、うまく使い分けられていないことがあります。私、自分、僕、俺。時と場所を選んで使い分けますが、意識し続けないと会話の途中で変わってしまうことはあります。場が公的であるか私的であるかという観点と、男性性を強調するかしないか、という使い分けだと思いますが。

Gothとか「テクノロジーの産物としての人間的存在」と、子供時代からのコンテンツ

人と機械の融合や境界についてはこの先もずっと関心を持ち続けそうです。

これは自分も大好きなテーマです。まさしく(麦原さんへの質問にあった)「自分の脆弱性を突かれるもの」です。

「人と機械の融合や境界」でサイバーパンクは外せないと思いますが、自分が最初に読んだのは、SFM掲載時のブルース・スターリング「蝉の女王」だでした。登場人物の「人間じゃない感」が強烈で忘れられない作品です。挿絵は佐藤道明でしたが、彼も好きなSF画家の一人です。

ギーガーいいですね。ホドロフスキー版『DUNE』のデザインも、もちろん『エイリアン』も。
前回も書いていましたが、『エイリアン』はリドリー・スコットの1作目あってのものではありますが、個人的に偏愛しているのはジャン=ピエール・ジュネ監督の4作目。エイリアンとのハイブリッド・クローンであるリプリーが魅力的で、何体もの失敗作のクローンが保管されている部屋へ迷い込む場面などツボです、自分の脆弱性のポイントです。
一方で、同じく前回触れた、小学校の低学年まで遡って思い出したロボットアニメの『コンバトラーV』では敵の大将軍が最終決戦の最中に自分と同じ姿の、しかし機械剥き出しの不良品のロボットを発見するというシーンがあり、これがおそらく原体験。
どちらも「実はクローン人間だった」「実はロボットだった」という「テクノロジーの産物としての人間的存在」を描くもので、これからも自分のこのあたりへの興味は継続していくでしょう。

いただいた質問への回答

二つの質問をいただきました。
どちらにも冴えた回答がない、日常生活に不自由な人間です……

1.日常の面倒を軽減するためのテクニックをお持ちですか? それはなんですか?

テクニックもエネルギーもなくて困っています。
生活の中で面倒で先送りしがちなのは、皿洗い(簡単な料理は作ります)、洗濯ものを畳んでしまうこと(洗濯から干して取り込むまでは無問題)、風呂掃除(風呂入るのは好き)です。
小説も書き出すまで時間が掛かります。あらゆることについて、開始するために必要なエネルギーの閾値が高く、後始末的な作業が超苦手です。
タスクリスト的なものを、手書きのノートやToDoリストアプリでなんとかしようと思っても、どこかでグズグズになって放置ToDoが溢れて、溢れても困ってないなら、やらなくて正解だったのだと思って忘れることにするタイプです。本当に忘れてよかったのか、そこは再考の余地があります。

2.自分をいたわるために何かしていることはありますか? 

お風呂はいるときにiPhoneをZiplocに入れて持ち込み、好きな音楽を聴きながら長湯するくらいでしょうか。
いたわるというのと少し違いますが、在宅勤務で運度量が激減しているので、散歩したり、体を動かすように気を配ってはいます。これから暖かくなってくるので、もっと動かねばと思ってます。

オンラインのコミュニティ

ゲンロンSF創作講座は今年度が第5期になりますが、先週、3期〜5期の有志で新作の合同感想会というものを開催しました。創作講座の課外活動は、オンラインのコミュニケーションが当たり前になったおかげか、以前よりも活発になっている気がします。オフで人に会う機会が少ない分、誰かと話をしたい欲求が高まっているのかもしれないし、オフだと会うために準備して出掛けるよりも気軽に会えるからという気もします。
初対面の人、オフではまだ会ったことの無い人もいたりして、ちょっとパソコン通信の頃やmixi開始時の頃のような感覚があります。
何にせよ、創作に真摯な人たちとの話は刺激になります。


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