SF創作講座6期 第7回課題 梗概の感想
今回の課題は上記のとおり「自分の人生をSFにしてください」というものでした。
くじ引きによって担当させていただくことになった7作と、裏SF創作講座の投票作品に対する感想です。
くじびき担当分
瀧本無知「デッドライン・ゴールドラッシュ」
ストレートなエンターテイメントとしての構成がしっかりしていると思いました。一種のVR技術による死の疑似体験が流行する社会と、その最前線で生きる主人公の物語に疾走感があります。
実作の良し悪しはイクスグラフィー・疑似体験パートの描写次第だと思いますので、「ぬるい作品」と「本物」を書き分けつつ、ぜひ、迫真性のあるイクスを実作で体験させて欲しいところです。
最後のパートですが、主人公が真に求めているものは何か、明確にしていくと良いと思いました。物足りなさを感じつつも今の生活に落ち着くことか、闇商売に関わる(生き抜くことを前提とした)スリルか、それともいっそ、生死の境界をさまようような臨死体験や、死そのものか。
とはいえ、もちろん、必ずしも心情を直接的な言葉で説明するということとは限らず、です。
あと、話の展開から想像すると、前任者もイクス同様に生きている可能性があることに思い至りました。気になるところです。
イシバシトモヤ「テクノロジーとその本来のところとする所へかえる」
タイトルがいいと思いました。「ところ」と「所」の繰り返しは気になりますが。
このタイトルは主人公のメタバース履歴を元にAIが生成した言葉から取られていて、彼の心の中に残る重要な言葉ですが、本人が気づかない行動に隠された無意識の領域を、AIによってさぐり当てられフィードバックを受けるというところに多重の意味が込められていると捉えました。
ストーリー全体としては、いくつも登場するアートと、それらを見る体験をいかに描写するかが読みどころの一つになると思いますので、表現されたものを読んでみたいです。気になるのは2035年という、約10年先の扱いの難しい年代の近未来に時代が設定されていることで、今思いつくようなアイデアは古びているのではという懸念がつきまとうところでしょうか。作中に登場するアートもそうですし、例えば、NFTという概念が古びている可能性、メタバースが過去の遺物になっている可能性。未来予測的な意味ではなく、現在の読者が未来のものとして読む上で、陳腐に受け取られかねないという意味で。年代はぼかすか、もっと近い未来にしてしまうほうが良いような気がします。
(13年後の未来の代わりに、13年過去に遡って、現在が想像どおりかどうかを考えてみれば、なかなか難しい時代設定だと実感できると思います)
障害者によるアートについては、じっさいに今現在、車椅子の生活でモダンアートに取り組んでいる人もいる中で、未来のものとして何を見せることができるかというのは気になりました。
アートの具体的な記述に対して、主人公の感情の記述が不明瞭に思います。最後の「複雑な感情」「不思議な気持ちの中」と言った言葉を、実作では具体的にして、ぼんやりした読後感で終わらせないようにして欲しいです。
牧野大寧「夢で見た龍を殺せ」
魅力的で謎のある世界を提示していて、興味深く筋を追っていくことができました。残念ながら中途半端に終わっている印象で、そこを乗り越えたものにして欲しいなと思いました。
冒頭のアクションは、世界観と謎を提示して、読み手を引きつけると思います。塔を一階ずつ上っていくアクションRPG的に感じました。実作での描写に期待。「向こう側の地上」まで続く高層ビルとは、どのようなものなのでしょうか? シリンダ型スペースコロニー内の世界を想像しましたが、全然違うのかもしれません。それとも天国的な何かの象徴でしょうか。
一転して主人公の井下の視点になりますが、最初の夜は謎が秘められている感じで良い雰囲気です。しかし帰宅して数ヶ月してから、「なぜか」気になるというのは、読者としてはどうやってついて行けばよいか分からず、井下なりの論理が欲しいと思います。
また通信機と公衆電話のシステムはどうなっているのかも気になります。メタファーとしても、作中世界におけるシステム設定としても、私には読み取ることができませんでした。どちらかの片方の観点でよいので明示して欲しいところです。公衆電話は『マトリックス』を連想させますが、『マトリックス』や、他の何がしかの先行作品のオマージュのようなところがあるのでしょうか?
最後の段落がとてももったいないと思います。蛇は何もせずに帰って行くというところも、元の生活に戻っていくところも、つまり結局何も起きませんでしたという終わり方で、読者としては尻切れとんぼで物足りないです。
方梨もがな「灰燼よ、龍に」
3.11の寓話として読めるのか、いまの梗概本文のみでは、ちょっと私には読み取れないところでした。また、あらすじではなく、まだコンセプト・イメージの提示に留まっているという印象もあります。
ただ、ファンタジーの書き方として、具体的な世界の物語として書く方向なのか、抽象度の高い虚構のなかの物語として書くかによって、梗概をいかに書くかという問題はあり、後者は難しいところがあるとは思います。「寓話として」とアピール文に書かれているのですから、後者になりそうですし。
異世界を構築する上で名前をつけることはとても重要ですが、ネーミングの一貫性の無さが気になりました。日本風ならば日本風に、ヨーロッパ的な名前ならばそれで統一するべきと思います。あらゆる国の言語・固有名詞を引用していく腕力勝負の作品も世の中にはありますが、それは世界全体、複数の国々を描くからであり、一つの土地、地域を描く中で混在させるのは、どうしても世界を構築することに対する「雑さ」を感じてしまいます。和名洋名の両方を使いたいならば、たとえば、白鴉《ワイズマン》のような和名+洋名ルビ(もちろん、この世界ではそれを和とも洋とも呼ばないはずですが)を、固有名詞全てに徹底するという手はあると思います。
櫻井夏巳「赤い星」
離れの建物のつくりと、ガジェットの雰囲気がとても好みです。パンチカードのアカシックレコード(?)、それを自動演奏する自動ピアノ。
断章を並べるかのような書き方は、ストーリーが読み取りづらいのですが、櫻井さんの小説のスタイルからすれば、これで良いような気もします。
とは言え、「赤い星」はけっきょく何なのだろうかという疑問は残ります。 例えば、太陽が赤色巨星化した世界の話であると素直に受け止めるべきなののか、何らかの象徴的な現象であって具体的な理屈はないが恐怖の大王そのものと捉えた方が良いのか、など。梗概の本来の役割としては実作では曖昧に書くものや隠喩で表現するものについても、その正体を明示するのがたぶん正しい流儀で、答えは書いておくのが良いはずです(講義的のときに質問されたら答えられるようにしておいた方がいいです)。
和倉稜「偽装する乙女」
「透明感やば」はいい台詞ですね。
でも、ワンアイデアで勝利につなげるには、設定をもっと作り込んで行く必要があるとは思います。
この話、どんな大きさの話にするのだろうかと言うことを、考えてしまいました。乙女隊の活躍にのみ焦点を当てるのか、怪物の発生から撃退までの大状況を描くのか、ということですが。後者にするには、乙女隊と世界観全体をつなぐものがないと難しい印象です。
冒頭の世界観の説明ですが、アンバランスさを感じます。『パシフィック・リム』のような、大きなものの襲撃と撃退のように読めるのですが、じっさいには日常生活の中に人間と対等なサイズの怪物が出現すると分かり、違和感を覚えます。全面戦争というよりも、日常化した市街戦なのですね。生身のヒーローが戦う上ではそのほうが魅力的な世界でいいと思います。
あと、国を超えた軍隊組織を国軍とは呼ばないと思います。国連軍や地球防衛軍(にあたる作品向けの独自名称の組織)であるはず。
ユイが粉体を持って透明化に成功しますが、個人の手作業では乙女隊自身の分しか対策できないと思われ、どう自動化するか、あるいは全世界の部隊に教育するのか、そのようなプロセスが、全面的な勝利にのためには必要と思われます。
そして、怪物を倒すことには成功するラストですが、その正体あるいは発生原因などには触れず正体不明のままに終わるのでしょうか。
最初に書いたように、乙女隊の活躍を描くことをテーマにするのであればそれでOKかもしれませんが、「全ての怪物」を倒して終わるためには、そこに触れないと説得力が下がる気がします。もっとも、どのように語っても絵空事ではあるので、理解不能な謎であることを強調するほうがいいかもしれませんが。
個人と全体をつなぐ戦いの話は、例えば(私は小畑健のコミック版しか読んでいませんが)桜坂洋『All I need is Kill.』が参考になるかと思います。
やまもり「ゲームの結末」
これから、とうところで梗概が終わっていて残念です。この後の展開も、考えられているのであれば書いていただければと思います。
おおむね、管理社会とスクールカーストの話ということになるかと思いますが、ここまで読んで、また今後の展開として、次の点が気になりました。
管理システムの何が、少子化対策に効果があるのか、あるいは効果があると考えられていたものの実際には無いのかの実態。
幸一と一緒に映っている女性の正体。履歴書に書かれている内容。
ゲームの思い出が活かされた展開。
裏SF創作講座投票分(後日追記)
上記担当分でもある瀧本さんと、難波さん、岸田さんの作品に投票しました。
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