ウマ娘の舞台を楽しむための原作史実の振りかえり、91年中心で(後編)
初めに
2023年1月15日から始まった舞台「ウマ娘 プリティーダービー」~Sprinters’ Story~。
舞台ウマ娘の史実である91年の競馬について、出演するダイタクヘリオス、ダイイチルビー、ケイエスミラクルそしてヤマニンゼファーを中心に紹介していきます。
ネタバレはできる限り軽くしていきますが原作自体がネタバレでしてね。
前編はこちら
中編はこちら
注意事項
この回で91年12月までの状況を記載します。
…つまりあの馬のことも書きます。
ちょっと心が弱っている方であれば別の日に見ていただけると幸いです。
4頭の軌跡、9~12月まで
では続き書いていきます。
9月から12月、そして翌年の出走状況はこんな感じ。
このうち、舞台で少しでも触れられたのは
・セントウルS(少しだけ触れた)
・オパールS(少しだけ触れた)
・スワンS
・マイルCS
・スプリンターズS
になります。
以下ではスワンS、マイルCS、そして問題となるスプリンターズSと3つに分けて紹介します。
スワンS ー出そろう三傑ー
スワンSは91年当時から現行までに大きな変化はありません。
国際競走になったり地方馬もでることができるようになった…くらい。
91年のスワンS。この年は有力馬がそろうレースになりました。
1番人気は安田記念1着のダイイチルビー
2番人気は6月までに4連勝してきたジョーロアリング
3番人気はおなじみバンブーメモリー
4番人気は前走毎日王冠で2着だったダイタクヘリオス
5番人気は前走オパールSでレコード勝利したケイエスミラクル
となりました。
ミラクルは前々走のセントウルステークスで凡走したため、この時点では評価がまだまだ低い状況です。
まずは動画を見てみましょう。
レースはダイタクヘリオスが1~2番手にいるものの殆ど馬群が固まったまま最後の直線に向かいます。
ダイタクヘリオスはいつも通り直線早々と先頭に立ち逃げ切りを図ります。が、いつもの粘りがなく後方集団に捕まってしまいます。
変わって先頭に立ったのはケイエイスミラクル。
中盤やや前目にいたダイイチルビーは懸命に追ってきますが僅か及ばず。
クビ差でケイエスミラクルが初の重賞勝利となりました。
しかも1分20秒6は当時の日本レコードでした。
その他、結果は以下の通り
重賞初制覇を手土産にミラクルはマイルCSを目標とします。
同様に秋のマイル王の座を射止めるためルビー、ヘリオスもマイルCSへ。
そう、三傑は淀の地で再び相見えることになります。
マイルCS ー会心の騎乗ー
マイルCSも91年当時から現行までに大きな変化はありません。
91年のマイルCS。この年はスワンS組が多く出走したレースでした。
1番人気はダイイチルビー
2番人気は前走レコード勝利したケイエスミラクル
3番人気はバンブーメモリー(これが引退レース)
4番人気はダイタクヘリオス
5番人気はダイユウサク(あっと驚くのはこの年の有馬記念)
となりました。
ミラクルはここにきて評価を上げましたが、1600mでの勝利がないので2番人気といったところでしょうか。
では動画を見てみましょう
まずはJRA公式
そして、次は関西テレビ杉本清アナ。
レースは序盤からダイタクヘリオスがかかってしまう状況。
人気2頭のダイイチルビーとケイエスミラクルは後方策をとります。
ここでヘリオス騎乗の岸騎手は馬の推進力を感じ取り、調教師からの好位待機の指示を破って第3コーナーで先頭に並びかけます。
淀の下り坂でスピードに乗り、かわして単独先頭となったヘリオスは大きなリードをつけて最終直線を爆走していきます。
ダイイチルビー、ケイエスミラクルともに詰めにかかりますが、今回はリードが付き過ぎていました。
結果はダイタクヘリオスがダイイチルビーに2馬身半差をつけて快勝。
ヘリオスにとって初のGⅠタイトルを手にしました。
【余談】
ちなみに岸騎手もインタビューで話しているように、ヘリオスは馬装具を今回付けて出走しているそうです。
漫画だと坂崎ふれでぃさんが描かれております。ウマ娘として
マイルCSで負けたダイイチルビーはスプリンターズSへ。
ケイエスミラクルも使い詰めだったので休養予定だったものの、スプリンターズSへ出走することになります。
一方で12月1日に900万下を勝ったヤマニンゼファー。
当時は準オープンクラスでしたが、格上挑戦でスプリンターズSに挑みます。
スプリンターズS ー栄光の陰にある悲劇ー
91年当時のスプリンターズSは主にレース時期が現行と異なります。
今のスプリンターズSは9月の下旬に行われています。
ゲームウマ娘ですと9月の後半ですね。
しかし91年当時は12月、有馬記念の前週に開催されていました。
変わったのは2000年にスプリント競走体系が整備された影響です。この辺はサクラバクシンオーの台頭による短距離マイル路線の見直しが本当に大きいですね。
レース前の予想はこのようになっていました。
1番人気はケイエスミラクル
2番人気はダイイチルビー
3番人気はレオプラザ
ヤマニンゼファーは10番人気でした。
使い詰めとはいえ短距離のレコードホルダーであるミラクルが1番人気に推されます。
では動画を…(ここから故障描写等があります。ご注意を)
まずはJRA公式
フジ三宅アナver(画像が荒いが、もっとキツイ描写がある)
ダイイチルビーはいつもの短距離戦と違い後方策をとります。
一方ヤマニンゼファーは6番手、ケイエスミラクルは7番手で道中進みます。
3コーナーから4コーナーにかけてミラクルはすっと前に取りつく動きを見せます。
そして最終直線、4番手まで上がったケイエスミラクルはここで末脚を
魅せることが、
できませんでした。
残りの200mのハロン棒よりすこし手前。左の後足が悲鳴を上げました。
そのまま失速していくミラクル。
その横から紫電一閃、電光石火の如き末脚で先頭までをも捥ぎ取る馬がいました。
ダイイチルビーです。
そのままゴールを駆け抜けていきました。
走破タイム1分7秒6、当時の日本レコードタイ記録でした。
これでダイイチルビーはGⅠ2勝目。史上初めて牡馬と戦うGI競走を2勝した牝馬となりました。
ヤマニンゼファーは健闘したものの7着。
そして
ケイエスミラクル、彼の左後脚はもう地面につけない状況でありました。
フジ実況の三宅アナ、解説の大川慶次郎氏、そして中山競馬場でレースを見ていた観客の殆どが”何か”を察していたと思われます。
診断の結果は、左第一趾骨粉砕骨折。
あまりにも致命的でした。
予後不良と判断され、安楽死の措置がとられました。
デビューしてわずか8ヶ月。
数々のコースレコードを塗り替えた彼は、瞬く間に天へと走り去っていきました。
その後の物語
ダイイチルビーはこの年のJRA賞のうち最優秀5歳以上牝馬、そして最優秀スプリンターを受賞しました。
ヤマニンゼファーは翌年の92年以降に覚醒。安田記念連覇、天皇賞秋制覇などの栄光を勝ち取ることになります。
ダイタクヘリオスは92年も走り続けます。マイルCS連覇などの活躍もありますが、もう一人のライバルであるメジロパーマーとの出会いがあるのも92年になります。
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。
勢いだけで書いた文章、読みづらいところもあったと思います。
ご容赦願えれば幸いです。
また、この史実を元にウマ娘の舞台は制作されております。
出演者がどのようにこの物語を紡ぎだしていくのか、是非現場で拝見してください。
また公演中止で見れなくなった皆様におきましてもブルーレイの発売が決まっております。
本当に良い舞台なんです。この感動を皆さんに共有できればと切に願っております。
最後に、舞台関係者の皆様へ
皆さんが一番辛い思いをしているのでしょう。ここまで練り上げ努力された結果を発揮できないことは、やりきれない思いもあると思います。
どうか、残った数少ない公演にその思いをぶつけてください。
最高の舞台を、今一度、見せてください。
皆様なら、できるはずです。
だって初日の日曜日現地にいた観客で批判している人誰もいないんですよ?
きっと大丈夫です。
ではnoteはここで終わりにします。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
milgauss(みるがうす)
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