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エヴァンスとフルートにまつわる物語

ビルエヴァンスは生涯で二人のフルート奏者とアルバムを録音している、ひとりはジャズフルートの第一人者ハービーマン、そしてもうひとりはジャズフルートの鬼才ジェレミースタイグである。

なぜエヴァンスがワンホーンカルテットでの録音にトランペットでもテナーサックスでもなくフルートに拘ったのか、それはエヴァンス自身がフルートをピアノに次ぐ第二の楽器に選び、エヴァンス自身がフルートを吹いていた事が大きな理由の一つだと思われる。

ビルエヴァンスは公式な録音こそ残ってないものの、かなりの腕前でフルートを吹けたという、兵役時代は陸軍バンドでフルートを担当していた経験があるし、盟友ジョンコルトレーンに寄せた手紙にも「最近はフルートを毎日吹いている」と記している。


つまりエヴァンスは自身の第二の楽器にフルートを選ぶくらいに、フルートという楽器のサウンドに魅力を感じていた。
だからこそ一流のフルート奏者と共演することで自らの音楽にフルートのサウンドを取り入れたかったのは安易に推測できる。

まずハービーマンと1958年にミッシェルルグランの「ルグランジャズ」とチェットベイカーの「Chet」で共演し、その実力を確信したエヴァンスは1961年にハービーマンの所属するアトランティックレーベルでハービーマンと自身のトリオで「Nirvana」を録音する。

おそらくハービーマンと録音を行うには、それまで縁のなかったアトランティックレーベルに出向く形しか方法が無かったのだろう。

エヴァンスはチャック・イスラエル、ポール・モチアンとのトリオと一流のフルート奏者であるハービーマンとのカルテット編成で決定的なアルバムを作るつもりだった。

だがエヴァンスはこのハービーマンとの共演盤「Nirvana」のできに満足できなかったようだ。

たしかに録音に集められた4人の演奏にはエヴァンスが求めるインタープレイの要素が薄く、ハービーマン+エヴァンストリオという印象が強く残り、そこにはハービーマンとの主従関係すら感じてしまう。

エヴァンスが求めていた4人が対等な関係での高度なインタープレイの印象は残念ながら希薄である。

その理由の一つにこのカルテットでツアーを行わずに、レコーディングの場で初対面となった事が挙げられる。

一流の4人のミュージシャンによる一定のクオリティは保っているものの録音の酷さもあり、今に至るまで多くのエヴァンスファンにから低い評価を受けている。


誇り高きエヴァンスがこのまま引き下がるはずがない、エヴァンスは人知れず理想のフルート奏者を探し続けていた。

そして1964年、エヴァンスは理想のフルート奏者に出会い、そのミュージシャンを高く評価し、ある意味で熱狂的なファンになっていく。

そのフルート奏者の名はジェレミースタイグ、一聴してすぐにジェレミースタイグだとすぐに分かる特徴的なハスキーな音色、フルートを吹きながら呻き声を上げ、音色にならない息の流れる雑音まで感情の表現に用いる、フルートが一般的に持つ繊細なイメージから程遠い極めて個性的なプレーヤーである。

ジェレミースタイグは幼少期の交通事故で唇の神経を損傷してしまい、彼が使うフルートは特別な仕様が施されたもので、極めて特徴的なハスキーな音色は唇の神経の損傷が理由だが、それを逆手に取る事で唯一の存在になったプレイヤーだ。

余談だがジェレミースタイグは晩年の生活の拠点を神奈川県の上大岡に移し、ミュージシャン活動と並行して画家としての活動を続けて、2016年に癌で亡くなっている。
ちなみにジェレミースタイグの父親は著名な風刺画家のウイリアムスタイグである。

ジェレミースタイグと出会ってから4年の月日を経た1968年にエヴァンスは自身のトリオとジェレミースタイグのカルテット編成で念願のライブハウスでの共演を果たす。

このエディゴメス、マーティーモレロとのカルテット編成で短期間のツアーを行い4人の音楽的な繋がりを深めていった。
その凄まじいインタープレイはこの時期に出演した野外フェスでロックファンすら熱狂させている。

ジェレミースタイグ、ビルエヴァンス、エディゴメス、マーティーモレロ、ついに個性的な4個のピースが万全な形で揃い、一つになった。

そして翌1969年、この4人はアルバムWhat’s newのレコーディングに入る。
ツアーを経て相互理解を深め、レパートリーを決める、そしてエヴァンスは魔法のようなアレンジを施した。         

4人の一流ミュージシャンが対等な関係で瞬間的に音楽上の会話を繰り広げる、高い知性と感性と技術が要求される正に四位一体の演奏。

それは誇り高きエヴァンスの8年越しのリヴェンジでもあった。

冒頭のセロニアスモンクのブルースStraight no chaserではカルテット、トリオ、デュオ、ソロと目まぐるしく演奏形態が変わり続ける、スタイグに煽られたエヴァンスのタッチがいつもより硬質に感じる。  

そしてハービーマンとの録音でも取り上げたブルージーなLover manは明らかにハービーマンとの演奏を軽々と凌駕している 、そしてアルバムタイトルにもなっているミディアムテンポのWhat’s newでは極端にハスキーなスタイグの音とエヴァンスの美しいピアノが見事なコントラストを描いている、エディゴメスのベースソロも簡潔ながらよく歌っている。

あの有名なイントロで始まる枯葉では、ドラムのマーティーモレロがよく効いている、またこのイントロはエヴァンスの編曲家としての実力を様々と証明するものである。

このアルバムでしか聴けないエヴァンスのオリジナルTime out for chrisでは安定したリズムセクションに支えられスタイグとエヴァンスが正に音楽上で会話をしている、ハービーマンとの録音に絶対的に欠けていた点だ。

後にエヴァンスの愛奏曲になる耽美的と言ってもいいスパルタカス愛のテーマでのスタイグの情感溢れるプレイは圧倒的である。

そしてアルバムのエンディングはエヴァンスも参加したマイルスの名盤Kind of blueよりSo what、エヴァンスとスタイグの違うベクトルの狂気を感じる、なんてスリリングな演奏なのか。

この瞬間を逃したら2度と生まれることのないであろう一期一会の音楽、このアルバムはモダンジャズ史上に残る名盤という評価を受けることになる。

                        

そしてエヴァンスはこのアルバムを最後に2度とフルート奏者と録音をしなかった。       

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