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佐藤正午

新刊が出ると必ずその作品を手にする作家が何人かおり、そのリストから外れてしまう作家もいる。個人的に一番古いのが、村上春樹。次いで佐藤正午、あとは平野啓一郎まで飛んでしまう。その間には、村上龍、島田雅彦、吉田修一、阿部和重、伊坂幸太郎、白石一文らがそのリストから外れてしまった。

その中で、佐藤正午が変わることなくこのリストにあり続けているのはどうしてなのだろうと考えるとそのスタイルが一貫して変わることなくあり続けていることに尽きる。まさにスタイリッシュな作家なのである。そういう意味では、伊坂幸太郎はスタイルは変わっていないのだが、読むこちら側が少々そのスタイルに食傷気味になってしまったのだと思う。

以前の投稿でMiles Davisについて触れたが、彼は変化し続けたが、根本的な意味での音楽のスタイルは変わっていない。であるから、追い続けていたし、同じ意味でKeith JarrettもPat Methenyも変わらずあり続けているし、彼らだけでなく、他にもそうしたmusicianはたくさんいる。    クリエイターが表面上、その作品で従来のテイストと異なるものを創造したとしてもその根本にはスタイルは現前としている。

そして、佐藤正午は私にとってそうあり続けている作家なのである。正直いうと「放蕩記」の辺りは多少揺れ動いたけれども。しかし、この時も佐藤正午という作家の匂いは変わらずにあったので許容範囲だったのだろう。

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