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note始めます。

−何かの役に立ちたい。

その思いを抑えられなくなってきた。まず何かやってみよう。そう考え、とりあえずnoteのアカウントを作ってみた。

41年生きてきて、これほどこういう感情に突き動かされてきた事はおそらくない。「何か」になのか、「誰か」へなのか、「社会」になのか。

疫病が蔓延し、人々が苦しみ続ける現在、日常的に無用の長物のような自分のような者が一体なにかできるのだろうか。毎日のように感染者の数が飛躍的に増大し、死者の報告を聞き、縁のある飲食店やライブハウスやミニシアターなどが閉店危機に陥っており、目を覆いたくなるような現実の連続に悪戯に気を滅入らす。無論、遅速に過ぎる為政者たちの判断や施策に委ねるしかないのはわかっている。力をなんら有していない者が声を上げたところで、誰に届く筈もないし、せいぜい木霊が返ってくるぐらいだ。だが考える。そもそもアーティストやクリエイターなんていう存在は、一体なんのために存在してるのか。無力であると即答し続けるのにも、いい加減疲れもした。

そんな事を思っている最中、とある大企業からメールが来て、社内に向けたモチベーションアップ映像を作って欲しいと依頼された。ありものの映像と、Gettyなどの映像とを組み合わせてただそれを編集しただけなのだが、僕はなぜかそれを号泣しながら作った。アホだ。まったく関係ない会社の、会ったこともない人々に向けて作っている筈なのに。何してんだ俺はと、セルフドン引きした。だが、なぜ僕は泣いたのだろうか。きっと自分自身がそのポジティブな「事後」へと向けたメッセージを聞きたかったのかもしれない。あ、そうか。結局自分というものは、「誰かを励ますため」に存在しているのではないか。ひとまずそう結論した。

感染した人々の映像や記事を見ると、「自分だけは罹らないと思っていた」という事を皆が繰り返す。徳島の山奥でできるだけ人と合わないように息を潜めて暮らしている自分も、いつ感染して死ぬかもしれない。煙草だって焦って2週間ぐらい前に辞めたけど、時すでに遅しだろう。そうなったら作品だろうが、なんだろうが残されたものを誰も触る事もできないし、奮起してそれを形にするほど面倒臭い事を家族や友人らに強いる気もしない。だから何か今するべき事、今しなくてはならない事をしよう。そう思った。

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元のような暮らしに戻るまで少なくとも2年、遅くて10年かかると言う人もいる。そして僕らがつい数ヶ月前まで平然と過ごし、見聞きしてきた世界にはおそらく戻れないだろう。緊急事態宣言が徳島でも出たり、県外ナンバー車を監視するなど只事ではなくなってきた。暫く新しい何かを撮影する事はできないし、どこにもいけぬのだ。保証もない中でこの先どうやったらこれから生きていけるのか。露頭に迷うのは簡単だ。だが僕には徳島に来てからこの10年、撮り散らかしてきたものがある。それを少しづつ何かの役に立つ事を願って解放していく事にする。そして文章もたくさん書いてこうと思う。既存のものがすべて通用しなくなるんだったら、新しいものを作ってきゃいいんだ。

…と思っていた矢先、 『産土』などのデータが入っていた古いHDDがクラッシュしてしまった。

お、終わった。。

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・・・

だが、奇跡が起きた。僕の居る場所(神山町の旧製茶工場を改装したオフィス)のIT社長の同僚がもてるスキルを発揮しまくり、なんとかなりそうになった。現在復旧作業中。というわけで暫し猶予をいただいて後、順次出してこうと思います。

長岡マイル


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