近況報告・「みんなの伝芸」ウェブサイト完成のお知らせ
長岡参です。
私事ではありますが、そしてだいぶ時間が経ってからのご報告となってしまったのですが、2024年3月末日をもちまして、一昨年5月より役員を務めていた株式会社エヴォリューションを退任し、4月から「一般社団法人みんなの伝芸」の代表理事に就任致しました。遅延しつつも制作中の「種」にまつわる映画に関しては、引き続きエヴォリューションと共同で制作しますが、役員という立場は返上することになりました。
以下、例に漏れずだいぶ長文になるかと思いますが、現在の心境を訥々と述べたいと思います。
約一年半に及ぶエヴォリューション内における模索の中で、「ドキュメンタリーをアップデートする」という西森信三さんの思いに答える形で、僕がこれまである意味ライフワークのように長らく接してきた伝統芸能や郷土芸能の世界を映像化する企画が産まれ、様々な方々のお力を拝借しながら、紆余曲折もありつつYouTubeチャンネルを作るまで漕ぎ着け、これまで半年間、毎週二本の更新を休まず続けて来ました。またチャンネル内で長尺のドキュメンタリー作品を数本公開するなど、様々な「場」となりうるもの築くために、仲間とともに何とか歯を食いしばってきました。
コンテンツの一つ一つ、ハンドメイドで、どうやったら子供からお年寄りまで見れるものになるかというのを考えながら作っています。正直に言いまして、そういうことを考える機会は、これまで僕にはありませんでした。数年前、初のフィクション作『あわうた』を作り終えた時、電波少年のTプロデューサー・土屋敏夫さんから「長岡の作品は『みんな』がいない。その強度にたじろぐ」と書いていただいたのですが、僕はこのチャンネルを作る上で(それは人生の最後に「壮大な冒険」がしたいという西森さんの願望に応えるためでもあったかもしれないですが)始めて「みんな」というものをちゃんと意識しました。つまり、何と言いますか、ドキュメンタリーというもので社会の役にたちたいと思ったのです。もっと正確にいうと、ドキュメンタリーというものの根源的な役割は、「映像で社会の役に立つこと」だとも思ったからです。
多分、それまでは我欲だったり己というものを露骨に、露悪的に、どこまでも押し通していくのが「作品」だと思っていたのかもしれない。(きっと、だから『産土』では自分とみんなとの間で作風が揺れ動いていた)けれど何の役にも立たない、消費されるだけ(僕の作品は流通もしないので消費すらほとんどされない)の映像を量産したところで一体何になるのか?という問が常に僕の中であったのも事実です。また、「みんな」のことを考えたくても、できなかったという事情も少なからずあったのだと思います。
つまり、一人の、そして地方在住の外注先の映像屋としては、クライアントから来た仕事を、一個一個ミスなく仕上げるだけじゃなく、凡百といる同業者にはできない、オリジナリティ的な何かを出してを作品化できなければ、生存することすらできなかったから、です。であるからこそ、その部分を意識的に進化・突出させて、映画祭などで何らかの賞をもらうことぐらいしか僕に取れる選択肢はなかった。それが一転、「みんな」のためのものを作るようになりました。アスリートではないけれど、そういう部分は歳共にどんどん低下はしてくる。そういう意味でも、次のフェーズに進まないといけないといけなかったというという事はあったと思います。
始めてみて、ビジネスセンスなんてほとんど持ち合わせていないのに、この活動をどうやって続けるかという事も(あまり向いてはいないものの)考えなくてはならなくなりました。今ままでのようにただ一本の作品だけ作ってしまえば終わり、という訳にはいかず、有難いことに徐々に増えつつある様々な年齢層のファンの皆さんらに向けて、たくさんの「みん伝芸」をお届けしないといけない。いや「であるべき」というよりも、僕自身が知ってるつもり、知ったかぶりだったけれど、ほとんど何も知らないことにやっと気づいた伝芸世界の魅力にどんどん魅了されているのかもしれない。
僕はこれまでYouTubeやウェブ上での何某かで稼ぐという事に背を向けて、むしろ忌避をしながら生きてきました。10年以上前に、YouTubeがクリエイター向けのサービスを始めるという話を聞いた時も、そんなものには目をくれずひたすらVimeoでのみアップロードし続けてきた。SNS第一世代だと強く自認しつつ、いつの間にかどうでも良くもなっていた。
作る、ということばかり考えてきて、他のことはある意味どうでもよかったと言えるのかもしれない。或いは、他のことを考える余力が全く残っていなかったともいえます。常に全力で、脇目もふらずやってきたつもりではありますが後悔するとするならば、我が強すぎて、はたまた徳島の山の中に引きこもってしまっていたのもあり、志を同じくするプロデューサーについぞ出会えなかったことです。「作家さん」「映画監督」と言われながら、自分でもなぜ作品を作れているのだろうか今考えてもわからないほど、本当にさまざまなクルリンパを繰り返し、移住以来この14年間作品を、寡作ではありますが、作ってきました。本当に、本当に、いろんなことがありました。その多くはうまくいかなかったことばかりです。そしてあの時31歳だった若者も、45歳になりました。
気づいたら、時代はどんどん変化し、作品や作家の評価も、再生数やフォロワー数で測られてしまうような世の中になってきた。またコロナ禍に直面し、本当に廃業寸前まで追い詰められました。ちょうどそんな頃です。高知県の山中に移住してきていた西森さんから、一緒にドキュメンタリーを再定義するような活動をしないかと持ちかけられました。最初に聞いた印象は、途方もない無謀な夢…と思います。けれど、「君の人生はこれから行くも地獄、引くも地獄でしょ?」と言われ、腹が決まった。誘ってもらってなかったら、今はカメラ類なども全部売り払って、別の仕事についていたでしょう。
そして一年半が経ち、この度「一般社団法人みんなの伝芸」というものを設立しました。
正直言ってしまうと、うまくいくかどうかなんて全くわかりません。だけれども、今までもそんな保証なんか今以上に何もなかったけれど何とかやってきたように、まずはこれが何十年も持続できるものになると信じてみようと思います。「分け入っても分け入っても青い山」ではないけれど、続けていくとどんどん信じれなくなってくるし、モチベーションも上がらなくなってくる。そんなことはわかっている。けれど、これは面白くなき世を面白く的に、ちっぽけなこの人生を賭けてみたいのです。
これまで何人かの若者たちが僕に弟子入りを志願してきましたけれど、正直彼らを切磋琢磨させられる仕事量なんて、山奥で僅かな物資をあてにして暮らしているような自分には与えられなかった。そんな度量も、余裕もなかった。けれど、この「場」ならば、かつての彼らにも研鑽が可能となるようなものになるんじゃないか。エビデンスやら確証やら、もちろん何にもないわけではないけれど、HOWよりもWOWに賭けたいと思うのです。それが学生の頃、「究極のインディペンデント作家になれ」と映画学校のチラシにあった言葉に発奮して、ここまでやってきた青二才の夢想に対する、中年の答えとなるんじゃないかと思います。
扨、内容的にもまだまだ未熟であるのは承知の上で、ちょうど良いタイミングでもあるのでここに発表させて頂くのですが、本日「一般社団法人みんなの伝芸」のホームページが完成しました。
一言で云うと僕らは、「ドア」を作ろうと思っています。
歴史的経緯を考えてみても、「文化」というものはスポンサーなしではほとんど成立し得ないことは、ある意味自明です。YouTubeで数十万人規模の方々に登録してもらえれば、それだけで論理的には自立可能となるわけですが、それは本当に先の話です。詳しくは、ウェブの中に様々なデータを盛り込んで文章を書いたのでそちらを参照していただきたいのですが、僕らはまず「ドア」を作りたい。何のドアかというと、伝統・伝承芸能、郷土(民俗)芸能、門付芸能、大衆芸能などで括られる様々な芸能に、みんなが接続できるような「ドア」です。(奇しくもこれは、エヴォリューションでドキュメンタリーをどうアップデートさせるか、と考えていた時に浮かんだ言葉でもありました)
僕のSNSのフォロワーの中には、様々な企業経営者の方や個人事業者の方、自治体の公務員の方などいらっしゃると思いますが、皆さんのできる範囲で、ぜひお力をかしていただきたいのです。
様々な芸能には、僕らが見失うべきではないものが詰まっていると、今僕は真面目に思っています。産土を作る過程で、「僕らの縁(ヨスガ)とは何か、その糸口を探したい」と言うことがずっと脳裏にありましたが、あれから12年経ってみて、それは「芸能」の中にあると断言できそうなところまで来ています。芸能こそが、「何か」であったのだと。
初めはただ、一人の孤独な老人の「無謀な夢」に過ぎませんでした。それが数名の若者や仲間たちと共に何とか広げ、一年半かけて数歩進みました。できるならばその輪をさらに大きくしていきたいのです。
様々な芸能関係者や興味のある方々のみならず、世の中にかつての僕と同じように燻っているはずの映像作家たちの力をかしてもらい、このままでは凋落の一途を辿るしかない「みん伝芸」と僕らが呼ぶことにした様々な芸能や民謡ーーそれぞれの地域の産土のエッセンスの詰まったものものーーを、再び、「みんなのもの」にする運動に、ご助力を願いたいのです。
またこの活動に対して、ご意見やアドバイス、有力な情報などありましたら、いつでもご連絡頂ければと思います。どこにでも馳せ参じます。(何せ、作品作り以外のことは本当に向いていないのです)
よろしくお願いいたします。
長岡 参
『産土』の連続配信や記事のアップのための編集作業は、映像を無料でご覧いただくためにたくさんの時間や労力を費やしております。続けるために、ぜひサポートをお願い致します。