見出し画像

それでも、獣とたたかう94歳

山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた山梨県南巨摩郡早川町は、日本で最も人口が少ないといわれている町だ。
その早川町でも、特に山深い場所にある稲又集落には、2012年の取材当時、3世帯5人ほどが暮らしていた。

住民の一人である望月ふみ江さん(当時94歳)は、お嫁に来て以来七十数年、なんでも自給自足で暮らす中、畑仕事に精を出し、娘さん三人を育て上げた。(去る2014年の12月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします)
「わたしの小ちゃい箱庭」と言って案内してくれた畑には、ふみ江さんお手製の、トウガラシ形の獣避けが吊り下がっていた。さまざまな害獣に荒されている現状を、「まるで動物園みたい」と評しながらも、「くよくよしても仕方ない」と話してくれたその言葉に、こちらが奮い立たされるような気がした。
ふみ江さんは耳が遠く、娘の信子さんに途中で介助されつつの取材となった。以下、そのインタビューの全文を掲載する。
(敬称略)

5人だけの村

——ここ、稲又集落はどういった集落ですか?
ふみ江:雨畑(あまはた:稲又近くの地名)は、700年ぐらいの歴史がありますけどね。ここ稲又は、途中から人が集まってきたんです。うちは昔の戦で負けて、向こうの山を越えて静岡のほうから入ってきて、ほいでここへ行き着いたらしいです。6代前に、川の向こうの日向(ひなた)というところが山崩れで流れたんで、こっちへ越して来たんです。
こっちは川をへだって北側で寒く、向こう側は日があたって水もあるし、生活するには住み良いですけど、山が立ってますから危険なんです。昔っから人は住んでたらしいですけどね。
——それは何年ぐらい前のことなんでしょう。
ふみ江:そうだね。ここへ来てから200年ぐらいかな。徳川の中期ぐらいじゃないですか。うちはね、あそこの棟札に、文化3年だか5年と書いてあってね。江戸時代に建てられた寒い家だったから、40年ぐらい前に建て替えたんです。
——ここの集落は、現在3世帯で5人か6人ぐらいが暮らされていると伺いました。
ふみ江:十数年前までだと思うけども、一世帯で家族が5~6人も7~8人もいたんですよ。それがみな、ここは暮らしにくいっていうか、若い人が都会へ出てしまって。今は年寄りばっかで。
今ここでは3軒住んでますけどね、その内の1軒は別のところにも家を建てて、行ったり来たりしてます。うちと、もう一つの大きいうちと、2軒だけが常住。あの大きいうちは大人数ですけど、子供さんがみんな外へ出てるんですよ。
——一番多いときで、村には何名ぐらいいらっしゃったんですか?
ふみ江:一番少なくて5人ぐらいで、多いときで30人ぐらいいたんじゃないですか。子供が大勢いたから、子供の天国だったですね。外へ出て木で遊んだり、河原へ行ってわーわー騒いで。
そんなころはね、年内の行事も丁寧にやったんですよ。それが楽しみですからね。お正月なんかのハレの日は、子供がうれしがって飛び歩いて。14日にはどんど焼きとかね。あそこに御道祖神っていって大きい石がありますけど、そこでみんなで団子を焼いて食べたり。
20日だったかな、「冠落とし」(弓矢を山の神に供える神事。この日は入山禁止になっている。)なんて言ってね、弓矢を飾ったり。そんなこともあったですけど。だんだん忘れるように、なくなっちゃいましたね。
あのころは子供も元気だったですけど。このごろはね、近所のお孫さんがお盆とか正月に来るでしょ。来るですけど、みんなテレビで遊ぶのかね、音がしないんですよ。わたしはまあ耳が遠いけどね、静かですよ。外も飛び歩かないしね。ずいぶん子供も変わったなって思います。
——お医者さんや病院にかかるとなると、大変なんでしょうね。
ふみ江:ここは病院が遠くてね、ずいぶん苦労したんですよ。まだ道路がないときは、急病が出たら、戸板へ乗っけたりカゴへ乗っけて、それで担ぎ出したの。
今は車が入りますからね。救急車も来るし、助かりますけどね。4キロ下の村に診療所ができて、毎週のようにあそこへ先生が来てくれるんです。
——なるほど。昔はみんなで協力しないと、なかなかお医者さんにもかかれなかったんですね。

●ドラム缶の煙

——家の前にある作物はキビですか?
信子:ああ、キビですね。今年は木が良いんで、イノシシに取られなければ結構とれます。
ふみ江:イノシシやサルが来て、畑を荒らしちゃう。ほいでね、一昨年はたくさん取れたけね、へそくり出して村の人に頼んで、あれを作ってもらったの。
——柵ですか?
ふみ江:そう、柵を。シカとイノシシだけは避けられた。でもあれだとサルは飛び越えて、隣のイモとかモロコシとか全部食っちゃったの。ねえ、悔しいでしょ。
わたしは毎朝、4時半ぐらいに起きて畑に行くの。畑に行って火を燃さないと、イノシシとかサルとか来るんですよ。ドラム缶の中へ薪を入れて、草を刈ったのを入れていぶしたりね。
——毎朝されているんですか?
ふみ江:毎日、朝と晩。
——へえー! それは凄いですね。
ふみ江:サルがいないか、昼間の見回りしないとね。知らないでしょ、全部やられちゃうの。百姓してて、なんにも取れないなんて悔しいじゃんね! だから習慣になって。
朝は、夜が明けるのを待ってるの、寝床ん中で。朝4時半でも5時でも夜が明ければ行くの。ほうすればね、あそこは人がしょっちゅう来てるなっと思うと寄り付かないの。人がいなくなると入ってくるだからね。
——それでドラム缶に火を焚くんですか?
ふみ江:ええ、火を燃すの。それで大きい木を放り込んでおくの。ほして、一晩中ぶすぶすいぶって煙が出てるです。だから今んとこ、こっちまで来ませんよ。
イノシシだって、腹が減ってどうにもならなければ、火くらい燃えてたって入っちゃうです。腹が減るって切ないこんだねえと思って(笑)。人間ばっかりじゃない、ねえ。 動物のいい餌場ですわ。
信子:もうね、動物園だよね。
ふみ江:そうだよね。
信子:人間が小さくなっててね。
ふみ江:こないだもクマが出て。
——最近クマの目撃情報が多いようですね。
信子:そうだね。わたしもね、朝にイヌを散歩に連れてったら、トンネルのところに蜂の巣があって、そこにクマがいたの。帰って来てすぐに近所に言って。下の家じゃもうね、3回くらいクマが出て、蜂蜜取られちゃったって。
——蜂蜜を取りに来るんですか?
信子:匂いがすると徹底的に来るみたいですね。お父さんがお蔵の中に、蜂の巣を隠して仕舞っといたら、お蔵の戸をクマがかじってたって。香りがある間は来るんですってね。
ふみ江:クマは嗅覚がすごいから。あの家はね、蜂蜜を作るのも名人でね。クマも餌場がなくなったかなんだか、だんだん食い尽くしてきて、ほいでお蔵の中の蜂蜜の匂いを訪ねて来たなんていう具合だね。今年始めて。
——匂いがわかるんですね。
ふみ江:動物って執念深いからね。サルもそうですよ。モロコシがあると思って、ある間は通ってくるの。隣の奥さんは「うちには(モロコシがとられて)もう一本もないよ」って言ってたね。
だからどのくらい餌場が狭まってるかってことね。なんせシカが増えて、青い草がなくなっちゃうんですよ。草を刈ろかと思っても、草刈りをする必要がないじゃんね。こんなにきれいになってっていう状態ですよ。
木の下も、きれいにバリカンで刈ったようにね。青いものは何もない。残ってるのは、シカも食いたくないようなカヤ。それとなんか毒のような草でもあるかな。イタドリに似たでかいのあるじゃん。ガラガラになる実、あれなんたっけな。折れば黄色い汁の出る……。
信子:タケニグサ。
ふみ江:タケニグサか。あれはシカは食わんかな? わたしは出て歩かんからわからんけど。

南蛮が、百姓の王

ふみ江:わたしはね、みんなは信用しないけど、自分だけで考えた対策方法があって。サルがトウガラシを嫌うんですよ。
——トウガラシですか?
ふみ江:サルが南蛮(なんばん:トウガラシ)を嫌うんです。昔の人がね、「南蛮は百姓の王だ」って言っていて、なんで王なのかなと思ってた。
イノシシとサルが、上の畑へサトイモを掘りに来たんですよ。ほれからわたしは考えて、南蛮を赤いのと青いのと、どんどん切ってね、そのサトイモの根っこに、ばらばらと置いて歩いたんですよ。ほうしたら不思議ですよね、それからちっとも来ないじゃん。去年は無事に採れましたよ。
今年はね、よその奥さんが七味の粉になったのくれたの。それを着物の裏なんかに使った赤い絹、あれを南蛮の形に切ってね、七味の粉を入れて糸を付けて、畑のところへ吊るしてったんですよ。
そしたら来ないですわ。南蛮なんかで動物を避けられっこない、なんてみんな言ったけど。わたしはそうやって今も吊るしてありますけどね。
サツマイモもね、絶対残さないようにイノシシが掘っちゃうんです。隣の家は大きい畑へサツマイモを作ったけど、種もないほど掘られちゃったの。それで今年はやめちゃいましたよ。何百年って作っているようなサツマイモですけど。
わたしは100本の苗を買って、じくじく植えて回って、「イノシシが掘ってもいいや」なんて思って、網を縫ってかぶしてね。ほいで、南蛮を上へばらばら置いたり、縫った赤い袋に七味の粉を入れて、ところどころ吊るしたの。そのサツマイモも今、無事ですよ。これからどうかわからんけどね。
——それは「南蛮を植えなさい」という、昔からの言い伝えのようなものがあったんですか?
ふみ江:南蛮が獣に効くとは聞かないけど、百姓の王だということは聞いてたから。なんで王なのかなと思っていたけど、わたしが試してみて、こういうことなのかなって思って。
——昔はシカやイノシシは来なかったんですか?
ふみ江:いえ来た来た。だけど昔はほら、鉄砲撃ちが多かったんですよ。鉄砲が怖いんです。サルなんかね、鉄砲の音がすると2~3日は近寄りませんよ。
近所の家の先代の人は、鉄砲が上手でね。クマやイノシシの大きいものを獲ったらね、2階に皮を張って干しときましたよ。
昔は食料が足りないから、「山さく」っていって、焼き畑をやったですよ。今じゃ焼き畑なんかしたら全然だめですよ。シカやらイノシシやら食い放題。だからね、今「山さく」をする人はないですよ。都会へ行ってみんな現金収入のほうへ走っちゃうから。そのうち食糧難でも来るちゅうような、予感はしますよね。
——食糧難ですか?
ふみ江:ええ、世界から見て日本中がね。みんな若い者が都会に行っちゃえば、田舎は年寄りばかりで、放棄の田畑が増えてるでしょ? それですよ。

「限界の村」っていうのが、現実だね。

——おいくつのときにご結婚されたんですか?
ふみ江:えっと、満22歳だね。昭和17年3月6日にここへ来たの。裾をはしょって、山道をてくてく歩いて来ました。
——嫁いで来られたときの思い出を聞かせてもらえますか?
ふみ江:もう忘れちゃった。それでも、なんでも自給自足でね。着るものも、みんな自分でしなくちゃならないからね。嫁に来た人はみんな自分で縫って、子供に着せるものもおおかた縫って着せて。学校のものだけは買って着せたけど、おおかた縫ってね。生活に一生懸命でしたよ。
ちょうど戦争のときですからね。主人は傷病兵で病気になってうちに帰ってたから、役場へ勤めたりしてたけど。男の人は若い人はみな兵隊に行っちまって、先生たちだってみな若い人は徴集されちゃうでしょ。
人がいないから、主人に学校に勤める話がきて。教員の資格はなかったけど、後から補習とか夏休みと冬休みに単位を取って積み上げて、准とか助教員になって。それで30年勤めましたね。傷病兵だから、ちょいちょい病気しながら、やっとのことで満期に退職できましたけど。
でも弱い弱いといいながら、95歳まで生きてね。4年前に亡くなりました。主人も苦労したんですよ。分校へ毎日通ったり、なにかあれば、6キロ先の本校まで通って。子供たちも大変ですよ。6キロの道を1年から中学3年まで通うですから。
この子(信子さん)は中学3年まで、ずっと無欠席で健康優良児。表彰されるくらい元気に育って。3人娘ばっかりですけど、おかげさまで病気をしないで育って、高校を出て短大ぐらいは自分で働いて、公務員の試験を取って。子供はみんな元気に育ってありがたかったです。山で育ったからね(笑)。
——今までで、一番苦しかったことはなんですか?
ふみ江:そうですね、年中苦しいですけどね。子供が進学だ修学旅行だってときにね、わたしが病気になっちゃって。主人も病気がちで、そんときは二人で入院してたのかな。
すぐ治ってきたけどまた病気になって、甲府へ行って手術しなさいって。子供のことを考えると、夜も眠れないですもんね。あれは苦しかったですね。
——逆に一番楽しかったことはなんですか?
ふみ江:そうですね、子供を連れて石和(いさわ:山梨県笛吹市石和町)へ、世界の動物博覧会ちゅうだかに行ったことあるですよ。この娘が6年生かな。小ちゃい子が4~5歳だったんですけど。子供たちを連れて博物館へ行ったときですね。
世界中の動物が集まって。ペンギンとかメガネザルとかヘビとか、いろいろあったね。そんときなんかは一番楽しかったですね。子供が喜ぶし、自分も喜んだし。そんなのがいいですね。
わたしはガラガラしてるから、いつもなにか良ければ「わっはっはわっはっは」って笑って通ったからね。主人はみんなから見ると、大人しくていい人じゃんなんて言われたけど、わたしはずいぶん厳しい人だなと思ってね。
一生仕えていたけど、あんまり夫婦喧嘩もしなかったかな。幾年か前に、初めてお父さんと喧嘩したけどね、それまで一切喧嘩はしないです。
——戦時中と今と、暮らしぶりは変わりましたか?
ふみ江:全然違いますよね。そりゃ、若い人の代になったら全部変わっちゃってね。世の中が変わったくらい。昔の面影はないですよね。
——家や村の光景も変わりましたか?
ふみ江:村は自然に消えてくっちゅうの。「限界の村」っていうのが現実だね。自然に人が減っていって、出た人が帰って来なければ、自然に消滅するよね。
生きてるうちだけ、元気に暮らしていくしかないね。くよくよしても仕方ないから。
わたしはおかげさまで健康に恵まれてるから。足だけ悪いけどね。口と手は達者だから(笑)。動いていろいろ作れてね、人にも渡したりもらったり。楽しいですわ。元気で健康ってありがたいことだなっと思って。それだけですね。
——今お歳は94歳ですよね。
ふみ江:94歳。もう1年ぐらい生きそうかな?
——あと6年は生きてもらわないと。
ふみ江:6年?
——100歳までは。
ふみ江:100歳まで? 生きられたらね。
——150歳ぐらいまで。
ふみ江:はっはっは。わからんね。
——でもお元気ですね。
ふみ江:口だけ元気。みなさんのような若い方に会って、話してるとおもしろいもんね。活力があるから。はっはっは。
——ありがとうございました。(了)

『産土』の連続配信や記事のアップのための編集作業は、映像を無料でご覧いただくためにたくさんの時間や労力を費やしております。続けるために、ぜひサポートをお願い致します。