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チカチカ

 ある日の夜、少し夜更かししていた私はチカチカした。私の目がチカチカした。そのチカチカは消えることはなくて、寝る前も、寝た後の夢の中でも、起きてカーテンを開けて見下ろした近所の公園の子どもたちもチカチカした。
 チカチカしてから、いいことがあった。ちょっとした顔を見なくて済むようになった。私が何か言った後に、話しかけた相手が何かを思っていそうな時も、ムッとした顔は見ることをしなくて良くなった。他にもある。チカチカしているから、世界の動きがより滑らかになった。例えるならゾートロープの具合で、見ているものが、その画の数が減ったので、その分世界が滑らかになった。頭が滑らかにした。私の世界はぬるぬるした。
 チカチカして悪いこともあった。人がうなずかなくなった。何かを言い出そうとしているのか、少しの口の動きから読み取ることができなくなった。
 でも、そう困ることはなかった。だって世界は意外と、もとからチカチカしていた。街の灯りは、チカチカする前と変わらずやっぱり街の灯りだった。目の前の人たちも、もとからチカチカしていた。あなたもあなたもあなたも、みんなチカチカしていた。でも、一人だけ、私がチカチカしてからチカチカしだした人がいた。おさむさんだ。おさむさんは、私がチカチカし始めてからチカチカし始めた。おさむさんは、チカチカする前は、チカチカしていなかった。おさむさんは、チカチカできなかった。ゆっくり遅かった。チカチカしていないから、おさむさんはいつも私の知らない私を知っていた。チカチカしている他の人と違って、私のまぶたの裏にほくろがあるのを知っていた。私が喋り出す時、鼻がピクッとなるのを知っていた。私がまだチカチカしてからおさむさんに初めて会った時、おさむさんは言った。「お前もついにチカチカしはじめたのか。」とか、「チカチカするといいらしいな、見なくていいもんな。見えすぎるよりは、楽でいいだろうな。」とか、色々と。その言葉も、チカチカしだしたおさむさんからはちぎれちぎれになってしか聞こえてこなかった。チカチカしていない時はあんなにもキラキラしていたおさむさんの話は、チカチカしていた。まぶしいんじゃない。痛い。痛い。うん、痛い。
 私はお医者さんに聞いた。「私のチカチカはどうしたら治りますか?」と。お医者さんは言った。何も言わなかった。何も言わない、つまりは沈黙を言った。私たちは見つめ合った。チカとチカの間で、ずっと見つめ合った。不思議に、チカとチカの間だけでなく、チカの中にも何かが見える気がした。お医者さんはそのあとしばらく経ってから、「今日はここまで」と言って、「お薬の代わりに」と、時計をくれた。それは不思議な時計だそうで、時間が時間通りに進まないそうだ。ゆっくりもはやくも、ずっと変わり続ける時計だそうだ。でも私は、時計が本物かどうかなんて誰もわからないと思った。だって、他の時計と同じこと以外で、私は時計が正しいと判断したことがないのだもの。その時計は、きっと100円ショップで買えるやつだ。でも、私はそれを馬鹿にしたりはしなかった。
 翌朝、起きてその時計を見ると「11時」だった。なんてことない、今が何時であろうとこの時計は時間通りでないのだ。秒針を眺めていると、私はそれでもその時計が本当に時間通りでないのかと疑いたくなった。同じくらいのスピードで流れるように見えていたチカなのに、秒針がひとつ進む間にチカしたり、同じ間にチカが一度もなかったり、そうかと思えばチカチカしたりチカチカチカしたりした。チカがおかしくなってきていた。それとも、時間が曲がっていた。いや、多分この時計が壊れている。
 私は友達と一緒に本屋さんへ出かけた。その友達は、小説コーナーに貼りついた。こっちだよ!って言っているような背中をしていた。私は小さくなってついていった。友達が貼りついた本棚とその友達との間には、たくさんの本があった。私はひとつ、その中から文庫本を引っ張った。友達は嫌な顔を少しして、本棚への貼りつきが弱くなった。その友達は確かに、嫌な顔を、少し、した。私は本を開いた。チカチカした。急にチカチカして、時計に目を落とした。時計は止まっていた。動いていたかもしれないけれど、私が止めた。私はそれから、友達を見た。その友達は、キラキラしていた。そのあとまた見た本は、動いていた。今度はチカチカがゆっくりだった。
 本屋のあと、その友達と話した。さっきに買って、その後しばらく読んだ本の話をした。キラキラしていた。その友達はもちろんだけど、私も。キラキラしていた。友達は私の話をキラキラした目で聞いていた。いつもそうだ。嬉しそうな目で聞いてくれる。私も、その友達の話をキラキラして聞いた。静かに黙って、でも心はいっぱいで聞いた。そんな時は、どちらかが沈黙を作っても、沈黙がキラキラだった。私の目は、光をスキップしてしまうのを忘れた。小さな沈黙と光が満ちていたカフェの中は、味噌汁の中だった。豆腐だったし、ねぎでもあった。私はおふやなめこが入った味噌汁が好きだった。
 その日の夜、チカチカが消えた。その日の夜ご飯は味噌汁じゃなくてコーンポタージュだったのに、チカチカは突然消えた。その友達の電話番号は知らなかった。でも、電話できた。チカチカしなくなったから。その友達のキラキラが、今は見えるから。
 私がその友達のキラキラを浴びている間に、おさむさんは死んだ。おさむさんのお葬式はおさむさんらしくなくて、チカチカしていた。その時ばかりは、私もチカチカした。お墓に入ってしばらくも、そうだった。でも、しばらくお墓に行くことがなくて、おさむさんのことも忘れていた時に、その友達と一緒にふとおさむさんを訪ねてみたくなった。おさむさんのキラキラが、その友達のキラキラと重なった。その友達はおさむさんのことを知らないけれど、私がわけも言わなかったのに、目と耳をキラキラして、「行く!」と答えた。その時やっと、お葬式から見えなかったおさむさんが見えた。その友達と一緒におさむさんに会いに行った時は、夏が体にべっとりとくっついてくる日だった。それでも、おさむさんはおさむさんで、それは、その友達のお友達に違いなかった。その友達と私で二人でおさむさんに手を合わせた時、おさむさんの心もその友達の心も私には見えた。チカチカしない、そのままの心が、見えた。
 その友達もたまにチカチカした。それは、私の目にとても痛かった。その友達は踊っていた。でも考えてみると、チカチカしていたのは私の目だった。チカチカしているのがその友達なのかどうかは、その友達自身にしかわからなかった。その友達も自分ではわからなかったかもしれない。チカチカはもう私から消えた。チカチカの向こうには、いつでもずっとキラキラがあった。もう痛くなかった。私はお医者さんに時計を返した。もうその時計の秒針は、読めなくなっていた。

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