見出し画像

喜多流「弱法師」

喜多流の「弱法師」を観た。
シテを務めたのは友枝昭世さんである。
友枝昭世さんと言えば、喜多流の宗家預かりで、重要無形文化財各個認定保持者(いわゆる人間国宝)という現代最高峰のシテ方能楽師。
場所は、セルリアンタワー能楽堂。
セルリアンタワー能楽堂は、セルリアンタワーホテルの地下にあって、そのせいか狭くて小ぢんまりとしている。
橋懸かりも、たとえば千駄ヶ谷の国立能楽堂などと比べると一段と短い。
しかし、その狭さのせいか、客席が能舞台に著しく近いのである。
橋懸かりの脇の脇正面席など、手を伸ばせば橋掛りを進む能楽師に届いてしまいそうな距離感(もちろん届かないが)で、実に臨場感がある。
能「弱法師」は、とあるそれなりの立場にある豪族の長が、さる人の讒言によって息子を捨ててしまい、息子はその身を嘆きながら、悲しみのあまりに盲目となり、弱法師と呼ばれる乞食として生きざるを得ない運命を背負わされてしまう。そういう父と子の物語である。
今回、私は脇正面席の一番橋懸かりに近い席で観ていた。
シテが登場して、しばらくの間、橋懸かりで長い詞章を謡う場面があるのだが、じっと観ていると面の口元が動いている(ように見える)。
これを観ていて、尋常ならざるものが眼前で演じられていることを否応なく知る。
至芸というのはそういうことなのであろう。
当たり前だが、本舞台へ入ってからもシテの一挙手一投足と謡に目と耳が釘付けとなる。
大袈裟に言うと瞬きすら控えたいくらい。
そして、子を捨てた父親は、ワキ方の、こちらも重要無形文化財各個認定保持者の宝生欣哉さん。
父親は、讒言によって子を捨てたことを、それが偽りであることがわかって大変に後悔し、息子の二世安楽を祈って、天王寺での施行(ほどこし)を行う。
そして、その最後の日に、天王寺に息子がやって来るが、最初はお互いに父子であることはわからず(息子は盲目)、やがて父のほうが、眼の前の弱法師が実の息子であることを知って、名乗りかけ、一度は自分の置かれた今の身を恥じて逃げようとする息子の手を取って、二人連れ立って里へ帰って行くのである。
父と子のそれぞれの思い、そして最後には心が通い合う様子が余すところなく表現される。
こういう演能に接することができると心底能の素晴らしさを実感する。

返信転送
リアクションを追加


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?