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能「頼政」二題



先日、あまり日を置かずに(中二日)、能「頼政」を続けて観た。
「日経能楽鑑賞会」での片山九郎右衛門さんがシテを務めた演能と、「梅若研能会」での青木一郎さんがシテを務めた演能である。
頼政は、大江山酒呑童子退治の伝説で有名な源頼光の子孫で、勇猛果敢な武将であり、また優れた歌詠みとしても知られており、いわゆる文武両道の人である。
平安時代の末に、平治の乱で、頼政は源氏でありながら平清盛側に味方するが、なかなか出世をすることができず、時を経て、後白河法皇の皇子高倉宮(以仁王)が平家打倒の令旨をくだすと、頼政は高倉宮の側に与して、宇治の合戦にて平家に敗れ、その場で自害して果てた。
能「頼政」では、この宇治川の合戦の様子が、後シテの頼政の幽霊によってありありと語られるが、平家の軍勢の強さが強調されることによって、自らがもはやこれまでと自害へと追い込まれるさまが眼前にまざまざと甦るかのように描かれている。
能には、「平家物語」を典拠としたものがいくつもあるが、この「頼政」の力強い謡に合わせての所作は、足拍子が効果的に用いられ、非常に観応えかつ聴き応えがある。
この能の最期に、頼政の辞世、「埋れ木の花咲くこともなかりしに みのなる果てはあはれなりけり」が詠まれ、ワキの旅の僧にさらなる供養を頼んで消え失せていく。
土に埋もれた木が花を咲かせることがないように、世に出ることなく不遇をかこって自害した自らの無念が謡われる。
能には、この世に未練を残して死んでいった者の魂が、供養されて成仏する、という構造のものがいくつもあるが、この頼政が成仏したのかどうかがはっきりとはわからないまま終演を迎えるというところが非常に印象深い。
「梅若研能会」では、能がもう一演目、「杜若(かきつばた)」が上演された。
「伊勢物語」にある「かきつばた」の五文字が織り込まれた在原業平の「からころも きつつきなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」が謡われる。
在原業平が杜若の花を見て、愛した女性を思う歌であり、これを受けて、シテは物着(演能の途中、舞台上で装束の一部をつけかえたり、冠・烏帽子などをつけること)をして、業平の愛した女性の唐衣と業平の冠を登場する。
業平と愛した女性の思いを一身に帯びた杜若の花の精である。
ここには能において核ともなっている考え方の「草木国土悉皆成仏」の思いが込められている。
「伊勢物語」の情趣に満ちた、しみじみと趣きの深い能である。

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