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日本の英語力が低くても問題ない理由を「英語能力指数」の国際比較で考える

世界各国の英語力を比較する指標として、スイスの言語教育機関EFが「英語能力指数」を毎年公表しています。

各国の平均的な英語力を5段階で分けています。ざっと見てみたところ、こんな傾向があるようです。

「英語能力指数」ランキングの傾向

非常に高い

シンガポールのほか、ヨーロッパのゲルマン語圏の国々が入っています。

ゲルマン語圏が上位に来ているのは、言語的に英語と似ているためです。習得が容易です。単語と少しの文法を覚えればおしまいです。

シンガポール人の英語力が高いのは、シンガポール特有の事情によるものです。
シンガポール人の母国語は英語ではありません(国語も英語ではありません)。にもかかわらず、国全体を運営するのに英語を使っています。玄関を出るとすべて英語の世界です。英語しか見かけません。教育も職場も買い物も英語です。徹底しています。英語ができないと暮らしていけません。

シンガポールは多民族国家です。建国当初、どの民族が主導権を取るかで内乱を経験しました。二度と内乱を繰り返さないため、国内民族間の調和を重要視しました。国策として国内で英語を用いるのも、このためです。どの民族にとっても英語は外国語で中立的だからです。

高い

中欧諸国が入っています。主にスラブ語圏です。
ゲルマン語圏ほどではないにせよ、英語との距離はそう遠くない言語です。また、これらの国々は経済的にまだ西欧ほどで発展していません。そのため、英語を習得することによって得られる経済的メリットが大きく、英語習得熱が高いのです。

また、イギリス/アメリカの植民地だった国々も入っています。これらの国では現在も教育の一部(高等教育はほぼすべて)が英語で行われているため、どうしても英語が必要になっています。

標準的

中南米諸国が多いようです。主にスペイン語を使う国々です。
英語に近い言語であるため習得しやすい反面、教育や経済などはスペイン語で完結するため、さほど英語習得が必要とされていない面もあります。

低い、非常に低い

このグループが興味深かったです。主に次のような国々で構成されています。

  • 旧ソ連諸国

  • 旧フランス植民地諸国

  • 中東諸国

これらの国々では、あまり英語を習得するインセンティブがないのではと考えられます。

旧ソ連諸国は、経済的にはいまでもロシアとの関係が強い国々です。ロシア語を学ぶほうが経済的には英語よりも有利です。また、教育現場でも従来はロシア語が用いられてきました。いまもロシア語が教育に使われることもあるようです。年齢が高い層を中心にロシア語が堪能です。
旧フランス植民地諸国では、多くの国でフランス語が公用語の地位を占めています。国内の共通語としてフランス語を用いる国もあります。教育もフランス語です。経済的にもフランスへの依存度が高い国々です。
中東諸国も、域内に産油国があるため、経済的なメリットのためにあえて英語を学ぶというインセンティブが働きにくいのではと思われます。

日本はどのカテゴリー?

日本は「低い」カテゴリーの国に入っています。
上で挙げた、旧ソ連諸国や旧フランス植民地諸国と同じような理由で、英語を学ぶ必要性が少ないのです。日本の場合、教育や経済で必要な言語は日本語です。

教育は日本語で事足ります。小学校レベルが日本語なだけでなく、大学も日本語で教育します。世界的に見て高いレベルの科学分野の研究すら日本語で行われます。世界には高等教育が外国語でしか受けられない国が多い中にあって、これは驚異的なことです。

また、英語を習得する経済的メリットもありません。日本語ができれば仕事ができます。大企業であってもコミュニケーションはすべて日本語です。
日本の経済に占める輸出入の割合は思ったほど高くなく、およそ2割だそうです(お隣の韓国は8割、シンガポールはほぼすべてです)。経済自体が国内で完結してしまう以上、英語が必要な場面も少ないのは想像がつきます。

日本のランクが低いのは、英語習得が単純に難しいということよりも、教育や経済の現場で英語が必要ないからだと考えられます。
英語ができないのは英語がいらないから、です。

今後の日本のランキング

日本のランキングは、今後も低位のままで推移するだろうと思います。
しかし、これは悪いことではありません。むしろ私たちの先人の努力のおかげであって、良いことなのだと思います。改善する必要もありません。

教育が日本語だけで行うことができるのは、間違いなく先人の努力のおかげです。
西洋の知識を受け入れるにあたり、先人たちは絶妙な訳語を考えました。そのおかげで、私たちはそれらの知識を身近に感じることができます。
これは単に単語が日本語だから、ということ以上に意味があります。物理現象から経済問題まで、私たちはそれらが生活の場面に結びついていることを感じることができます。教育の言語と生活の言語がつながっているからです。そのおかげで、私たちは物事を深く考えることが可能になります。
もし教育が日本語以外の言語で行われていたら、教育で学ぶことと生活の結びつきを感じることが難しくなり、物事を深く考えなくなるのではと思います。

経済も、先人たちの努力のおかげで、他の国に依存することなく自立できています。
日本経済には以前のような勢いがないとはいえ、いまも世界トップレベルであることは疑いようがありません。今後どこかの国に依存しなくてはならない、ということは、少なくとも数十年は考えられません(依存される場面はあるかもしれません)。
訪日観光客の増加などで英語が必要な場面は増えるかもしれません。しかし、産業全体で見た場合、観光業が占める割合はさほど高くありません。多くの人が仕事で英語が必要になるという状況になるわけではないと思います。

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