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つづく。

親戚のおじさんの「もうこんなに大きくなったのか」という言葉が煩わしかった。
「しばらく会ってないんだからそりゃそうだろ」と思ったし、「じゃあ逆にどのくらい成長してればいいんだ」とも思った。
しかしどうだろう、今となってはその言葉の持つ意味が分かりかけている。
自分の後輩が気付けば大学を卒業したり、成人していたり、そんな場面に直面した時に「もうこんなに大きくなったのか」と言いたくなってしまう。

高校生が主人公のマンガを読みはじめたのは小学校低学年の頃だろう。その頃は「お兄さん」であった名探偵も、気づけば自分よりもだいぶ年下になってしまった。
甲子園で活躍する同年代をテレビで観ながら堕落した生活を送る夏休みは、もう帰ってこない。ドラマを生み出す主人公たちはとっくに年下になってしまっている。
小説に出てくる「学生さん」が大抵しくじる大学生活すらも、気づけば過去のものになった。

自分よりも歳が上だとか下だとか、気にしてないような顔をしていてもどこかで意識はしていたりする。
「周りと比べるな」という言葉は、力強く聞こえても実際に行う事は難しい。
それでも僕は昔の話をいつまでもしていたいし、同じ話で笑っていたい。
変わることに努力が必要なら、変わらないことにも努力が必要で、気づけば過ぎる日々をどうにか留めておこうと必死になってもがこうとしている。

『自分が自分の世界の
主人公になりたかった
子供の頃から
憧れてたものに
なれなかったんなら
大人のフリすんな』
と甲本ヒロトは『不死身のエレキマン』で歌う。
歳を取れば日々のスピードは上がっていくが、まだ大人のフリをするのには早すぎるのかもしれない。
「大きくなったね」という言葉を飲み込んで、それでも日々は続いていく。

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