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わかってるようなフリしてる

「人はなぜ生きるのか」なんて疑問が浮かびはじめたのはいつだっただろうか。大人でも子供でもないような、ふわふわした中学生くらいの時にふと、思ったのかもしれない。

答えが出たわけではない。正解があるかどうかも分からない。ただ、回答を保留したまま大人になってしまっただけだ。

自分に子供でもできれば少しは変わるのだろうか。そもそも生きる理由など必要なのだろうか。かと言って別に死ぬ理由もないのでただ日々を生きている。

街を歩く人。毎日通る新宿駅は世界一の乗降客数を誇るというが、もしかして、すれ違う人も別に生きる理由なんて考えてないんじゃないか。わかってるようなフリして、答えを出すことを諦めたままなんとなく大人になって、なんとなく生きて、なんとなく一本電車を逃してみたりする。

もう何度も何度も季節が変わる事を経験しているのに、毎度毎度その暑さや寒さに驚きながら、冬になれば夏が良いと言い、夏になれば、いや、やっぱり夏の方が好きだ。

人に本を貸せるような人間になりたい。「この人はこの本が好きそうだな」とか「これ、面白かったよ」とさりげなく本を手渡せるようになりたい。遅読なせいでレパートリーがなくて、悲しくなる。もちろんこれはただの言い訳。どうせ首を痛めるならスマホでなるより本でなった方が幾分かマシな気がするから、電車ではなるべく本を開こう。

旅行がしたい。一人でも、誰かとでもいい。見たことのない景色をこの目に収めたい。後日またゆっくりと振り返って、感傷に浸ったりもしたい。旅先で吸うタバコは、少し味が違う気がする。

美味いものが食べたい。人に薦めることができるような、美味いものを知っている人になりたい。食べ物の「旬」に敏感になりたい。魚に詳しくなりたい。油と糖は麻薬だけれど、美味いものは美味い。偏見だけど、料理人は少し太っている方がいい。デブの作る料理には説得力がある。

朝まで飲み明かしたい。久しぶりに、馬鹿みたいに深い時間まで酒を飲んで、夏の朝の少しだけの涼しい時間に外を歩きたい。他愛のない話、同じ話で一生笑っていたい。理由なんていらない。

答えなんていらない。正しさも一つじゃない。それでも日々は続いていく。つま先は次の一歩へ、まだ先は短くはない。

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