消費と生産。
近頃は消費者として優秀な日々を送っている。流行りの韓ドラを2日で観終えてしまったし、駅までの道すがらさながら二宮金次郎のように本を読みながら歩いている。
しかしどうにも大層遅読なもので、なかなか進まず歯痒い思いをしていたりもするが、とにかく先週あたりからは消費行動が激しい。
たとえば僕がもう少しショートスリーパーだったら、もっと沢山の作品に触れられるのかもしれないが、どうにも早起きが苦手で、かと言って夜更かしをすると罪悪感で何もしない時間が生まれてしまう。
だから、今くらいが丁度いいのかもしれない。
それに伴って生産行動が疎かになっている事は否めない。ギターもあまり弾いていないし、noteだって久しぶりだ。
日頃一人でブツブツ呟く言葉たちを生産とみなしていいのか分からないが、それもどうやら最近は少なくなっているように思う。
久方ぶりのアウトプット。何を書いていたかもあまり思い出せない。
そういえば、「書こう」と思って書いてはいなかったな。「書きたいこと」が常に先にあったんだ。
消費ばかりで体が鈍ってしまって、いつの間にか生産者のことを考えている。
「生産者の顔が見える」という謳い文句と、畑の前で笑う農家の写真はセットになっていて、野菜のパッケージになっている。
会ったことも喋ったこともない人でも、なんだか愛着が湧く。
どこの誰かも分からない人が作る歌よりも、友達の歌声の方が好きだったりする。
noteも、ラジオも、ツイートですらも、友達の顔が見えて、それはなぜか妙に魅力的で、生産者の顔を思い浮かべながら消費している。
楽しいよ。書くのも、読むのも、聞くのも、観るのも。
生産を待ちながら、自分でもまた作る。読むよ、もっと沢山。待ってるよ。生産者の顔を思い浮かべながら。
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