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不死身

ひょんなことからサポートでギターを弾く事になった。思い出せば、ギタリストとしてバンドをやるのは久しぶりだった。
大学一年の頃にいたバンドでは、今よりも大分下手なギターをドヤ顔で弾いていた。少し齧ったくらいの時が一番自信があるのは世の常だ。

今になっても、立ち止まって考える事がある。どこかに落としてきた初期衝動みたいなものを、いつか拾いに行くべきなのか否か答えが出ずに頭を抱えている。
この間、吉祥寺のディスクユニオンに行った。BGMがやけに大きくて、スピーカーの許容量を少しオーバーしているのではないかと疑うほどだったが、心地よかった。
流れていたのはハイロウズの「不死身の花」だった。店に入った瞬間に分かった。散々聞いていた曲なのだ。歌詞はもちろん、曲の構成もフレーズもキメも全部覚えていた。
少し割れているくらいの音量でヒロトのボーカルがのびのびと店内を包んでいた。

どこかに落としてきたと思っていた初期衝動は、どこでもない自分自身の中にあった気がした。ずっと、そこにあったのだ。
いつの間にか色々なものが沢山入ってきてしまって、幾重にも重なったそれらの下で、しかし確実に息をしていた。
自分でも気づかない間に、大事なものを隠すようになって、蓋をしていたのだった。「変わらない」という事が恥ずかしかったのか、それともただ新しいものを手に入れるのに必死すぎて、見えなくなっていたのか。
無意識のうちに、引き出しの一番奥に突っ込んでは、無くしたと思っていた。

今の自分が弾いている曲と、当時の自分が弾きたかった曲は、違うかもしれない。しかし、頭の片隅に、両手の指に、喉に、微かに残っているその時の記憶が、ときたま控えめに顔を出して今の音に彩りを加えてくれる。
それがいいか悪いかなど、考えるだけ野暮だ。

初期衝動は不死身だった。戦場に咲いてしまった花のように、これからもきっと枯れる事もできずに生き続けていく。

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