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わたしの着物はじめ

新型コロナウイルス騒ぎで、自宅で仕事を余儀なくされている人も、多いと思う。そんなときに、精神的に参らずに、さらに明るく、楽しく過ごすにはどうしたらよいか。美味しいものをいただく、睡眠をたっぷりとる。そして、おしゃれを楽しむ。

昔から、衣食住というではないか。外に出かけて、人に合わなくても、オンライン会議はあるのだから、一日中、寝間着姿というのは、避けたい。

わたしは着物で日々過ごす。たぶん三年以上前からのこと。冬は暖かく、風邪を引かなかった。夏も快適に過ごす工夫がある。なぜ、着物なのかと考えてみる。

同居していた祖母は、喘息持ちで身体が弱く、着物を着るのが楽しみの一つだった。覚えているのは、地味な、黒や、灰色の着物。毎日着ていて、汚れにくいものというのが基準で、選んでいた。歌舞伎座に行くこともあったが、そういうときも地味な色の大島。華やかな着物姿は見たことがなかった。

母も着物道楽。着ない着物が箪笥三棹もあって、若いときは、学校行事に着物だったが、中年になって社交ダンスを始めて、着物は買ってしまっておくものになっていた。

そして、娘のわたしはというと、成人式も着物は着ないで、かわりに欧州旅行に出かけくらいの変わり者。祖母や母は、着物に関心のない娘に、がっかりしていたと思う。結婚のときも当然、着物はなし。誂えてもらうことも考えなかった。

それが、五十歳で起業し、時間的に余裕が出るようになって、mixi の京都着物のオフで、突然目覚めるようになる。着物を着よう、箪笥には在庫が山のようにあるのだ。

人形町の呉服屋さんで開催している、着物教室に一年くらい通い、一通り学んだ。先生は、優しくすてきな方。二人一組で教わり、毎回、着物を着て通い、うまくできない箇所をおさらし、帰りにはすっきりとした着物姿で戻る。途中、六本木に出かけたり、銀座を歩いたりと楽しかった。

このときは、まだ、着物はお出かけのときのもの。帰ってきたら洋服に着替えていた。それが毎日着物生活に代わる。冬の間、風邪を引かないようにと始めた着物生活は、京都旅行にも、パリ行きにも着物で過ごすようになり、美容室と、歯科医院を除く、すべての外出を着物で通すことになる。

人形町の江戸のくずし字講座も、着物姿は違和感なく、大島や紬の地味な着物が役立った。勉強会にも着物で出席すると、すぐに覚えてもらえる。いいことばかりの着物生活だが、人からいただくことも増えてきた。着物で過ごしていると、親戚や近所の知り合いから、着物を、箪笥ごと持って行ってといわれる。

貰うときのコツがある。その方のおうちに出かけたら、くださるというものをすべて、貰って帰る。箪笥の中から、気に入ったものを選び出すというような下品なことはしないこと。すると、また、別の方から貰ってくださいと声がかかる。着物は、不思議なもので、着てほしいと思う人のところに集まる。いま、父方の祖母の妹、大叔母からの道行きや羽織が、届いている。わたしは、その柄をよく覚えているのでうれしい。大叔母が遊びに来るときにおしゃれして着たものをいただいてしまった。叔母の姑の着物もある。その柄も、すっきりと似合っている姿をよく覚えている。

派手な訪問着はオペラの会に着ていく。能楽のときは、一つ紋の色無地に二重太鼓。歌舞伎座には白大島、柔らかものの訪問着。こう書いているだけでワクワクしてくる。外資系に勤めていた時は、着物とは無縁だったのに、今の自分はどこにいたのだろうかと思う。

着物は、よく三代着られるというが、これは、よそ行きの着物の場合だ。年に数回しか手を通さないで、丁寧に保管していれば、孫子まで、着られると思う。普段着の大島や結城は、そんなに長持ちしない。洗い張りして、仕立て直して、擦り切れるまで着て、最後は、リメイクになるだろう。

幸田文さんの随筆を読むと、着物を学ぶには、それに相応する費用が発生する。無駄のような買い物や、失敗があって、ようやく達成する。新調した着物を着て、雨に当たった時、父親は、そういうときは天気をみて出かけるものだと諭したという。

わたしは、娘時代に着物を誂えてもらわなかったので、父の遺産で着物をそろえた。質の良い、仕付けつきの着物が、まだまだ手に入る。新中古なら、一着誂える値段で、四五枚は手に入る。着物入門なら、毎月の予算を決めて、どんどん、お買いになったらいいと思う。

わたしが着物の師匠として、尊敬している中谷比佐子先生は、着物のセミナを開催しているが、そこに参加して、母から譲られた着物が、古物ではなく、価値あるのものだと気づく。日本の養蚕産業、そして、絹を織ったり、縫う人が最盛期だったのが、昭和47年前後。この時期に作られた着物は、良質で、すぐれた技術がある人が縫ったという。このお話を聞いてからは、譲られた着物を大切にしようと思った。

着物は、慣れ、そして、贅沢だと思わずに、着てみる。場所や立場や、役割などを常に分析して、反省して、次に活かす。勉強会用に、地味なグレーの着物を用意し、オペラの題目に合わせて、見立てをする。たとえば、ラインの黄金なら、川が流れているような柄に、金の入った帯。見立ては凝りすぎると誰も気づかないかもしれないが、頭を使うし、楽しい。

江戸の判じ絵に似ている。季節の変化にも対応して、下に着るものでび調整する。袷と、単衣の中間には、持っているものから、知恵を使って着こなす。これが楽しい。夏の着物というのは、母たちは知らなかった。夏大島や夏結城がある。師匠について、夏の着物のあしらいを学ぶのだ。

インターネットの中には、動画があふれているが、基礎はやはり、お金を払って学ぼう。そのほうが確実だし、理解が早い。叡智というものは、ただではないのだ。慣れたら、自分流にくずして、装う。基本を知っていれば、着物警察といわれる、取り締まりにあっても、怖くない。言い返せるだけの教養を持ちたい。

こんな時代だから、おうち時間を楽しむためにも、着物はお薦めである。

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