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漂流(第三章⑪)

第三章

11.

久し振りに会う光男は変わらなかった。いや、少し痩せただろうか?それが持前の精悍さを際立たせていた。込み上げる懐かしさを抑え、聡子は光男に語り掛ける。
「父に会ったのね?秋山の事は聞いたんでしょ?」
しかし光男は答えない。答えられないが正しいのだろう。やはり秋山の死を既に知っている様だ。ショックは大きいと思う。
「ねえ、光男。ごめんなさい。本当にごめんなさい。もっともっと早く、私から真実を伝えていれば、光男にこんな思いをさせないで済んだと思う。私が悪かったの。でも、もう終わったのよ。秋山は死んだ。お母さんの仇は死んだのよ。」
相変わらず光男は呆然としている。まだ事態を良く理解していないのかもしれない。ゆっくりと時間を掛ける必要があるのだろう。
「聡子はどこまで知ってたの?」
不意の質問に、今度は聡子が黙った。予想外の質問だった。
「え?何を?」
やや時間を置き冷静を装いながら、聡子は質問に質問で返した。
「裁判の後、秋山の事務所で俺が事故の真実を知った事。あれって偶然だったの?」
気付いている。聡子はそれでも決して認めない。
「どうしたの、急に。勿論そうに決まってるでしょ?」
落ち着いて。大丈夫。きっと大丈夫。口元や頬が引き攣らない様に、意識を集中する。光男はジッとこちらを見詰めている。こちらの変化を決して見逃すまいと……。
「光男。もう帰りましょう。朝倉さんも待ってるよ。秋山がこんな事になった以上、公安はもうこの件からは手を引く筈よ。初めから何もなかった様に…」
聡子は光男を見ずに更に続ける。
「光男には普通に生きて欲しいの。今まで散々辛い思いをしてきたじゃない。お母さんの仇も取れた。もう十分でしょ?」
そこまで言って、聡子は改めて光男に視線を戻す。言葉を失った。なんて優しい目。今まで見た事のない全てを包み込む様な温かい眼差しだ。それを見ている聡子の眼差しから熱いものが零れた。溶かされていく……。
「聡子こそ、もう十分だろ。」
止まらない。絶望。葛藤。諦念。後悔。そして、期待。それまでの人生の思いが一斉に襲い掛かってくる。聡子はその波に身を任せた。押し流される様に全てを開放する。気づくと光男の胸の中にいた。初めて経験する光男の温もり。ああ、ずっと此処に居たい……。広大な海原にいるような……。ずっと、此処で漂っていたい……。聡子はそのまま、深い、深い眠りに落ちていった……。


第三章 完


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