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漂流(第三章④)

第三章

4.

院内に入ると急激に冷気で包まれた。沸騰しそうなほど熱せられた肌には心地よい。しかし入り口から広い待合室を通り過ぎ、エレベーターへ続く長い大理石の床を歩いている間にそれはやがて寒気へと変わった。
15階建ての院内は、1階が受付や待合室などになっていて、2階から6階までが内科などの診察室、その上10階までが各科検査病棟、11階から最上階15階までが入院病棟となっている。光男が向かうのは最上階に入院している早川慎太郎の病室だ。
三台並ぶエレベーターの真ん中が扉を開いた。中には白衣姿の若い女性とパジャマにカーディガンを羽織った初老の女性が乗っていた。二人が降りた後、光男はそれに乗り込んだ。昼時を過ぎた午後2時を少し回った頃という事もあり、ただそれにしても光男が向かう15階まで誰一人乗って来なかったのは何かを暗示している様に思えた。
エレベーターを降りると2メートル程先に白い壁が立ちはだかる。その手前にある廊下は左右へ伸びていて、それぞれ5メートル程進むと直角に折れ曲がり病室へと長く続いていた。お気付きだと思うが、この階は各病室を取り囲む様に廊下が作られており、病室内に窓は無い。末期症状の中でも残された時間が限りなく少ない患者が集められているこの階は、それを悲観して自ら命を断つ者も少なくない。それ故に、飛び降りの可能性を減らすため、このような設計となっている様だ。エレベーターを降り、光男は左側に並ぶ病室への廊下を進んだ。そして角から数えて四つ目の部屋の前で止まった。調査通り、開きドアの上部にあるネーム板には "早川慎太郎" と記されていた。既に院内に入った時に感じた寒気は治まり、一つ深呼吸をしてから扉を左から右へスライドさせた。
おおよそ20畳ほどの部屋の、廊下から見て右奥にベッドが置かれている。その上に上半身を起こしてこちらを伺う初老の男性。バスローブの様な寝着を纏っている。髪の毛には白いものがかなり混じり、目の下や頬は窪み、それが故に眼光がかなり鋭く見える。聡子の父親だと思うと、しかしそこに全く面影はない。慎太郎はその鋭い眼光で光男をしっかりと見据えている。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ。」
その声は、末期ガン患者とは思えない程しっかりと、そして悟りを拓いた様に優しさを携えていた。その様子に光男は寧ろ気圧された。
母の仇を目の前にして、今一度覚悟を決める。
「俺が誰か分かるのか?」
それを受け、慎太郎は不敵に笑った。



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