えんとつ町のプペル

赤ちゃんが入院してるとき、赤ちゃん自身が病気を抱えていて、赤ちゃんは病院から出られないから、付き添いするわたしもほとんどを病院内で過ごす日々が続いて。

なんとも言えない閉塞感。本当に息苦しかった。

当時は必死すぎて、自分のことにはどんどん鈍感になって、麻痺していって、赤ちゃんのことで一喜一憂して、自分が辛いとか苦しいとかあんまり思わなかった(頻度が低かったという意味、もちろん思うこともあった、人間だもの。でもどんどんその期間がサイクルが長くなっていったイメージ。)とにかく毎日が必死でした

退院して外の空気を吸って、そこで強烈にすごい閉塞感だったなと思いました。目が覚めた感じ。ちょっと感覚が鈍くなっていたなと思いました。長期間の入院って、体力気力がいると思います。外に出てわかること、強く感じることってありますね。

しかし、そんな中でも、わたしキンコンの西野亮廣さんのサロンに入っていて。その中で、毎日リアルタイムの内容の記事を西野さん書いてくれてるんですが、それは割と読んでました。(矛盾してる?毎日、ではなかったけど、子どもが寝てしまっていたり、検査で一人取り残されたときは手持ち無沙汰なんです)

本当にある意味隔離された、霧の中にいるような病院で、星がみえない町、西野さんが書いてるえんとつ町ともリンクして。

病院は、テレビも有料。病院の中だけの世界にいる時間が圧倒的に長くて、社会からはどんどん取り残されていく感覚もありました。孤立していく感じ。でも希望を探していたんだと思う。だからサロンを退会せず、時間が出来たときに、必要以上に悩むよりサロン記事を読むことに時間を使った方が、精神衛生上も良かったと思います。一瞬でも心を休ませていたんだと思います。

サロンの記事を読むとき、リアルタイムの最先端のエンタメに触れることが出来て、それを知ってる自分に社会とのつながりを感じて、随分助けられました。

でね、希望って本当に大切だと思って。経過観察でいけると言われれば、明るい未来が描ける。でも1番きつかったとき、毎日ギリギリで生きてると言われていたとき、真っ暗闇に取り残されたような、本当に精神狂っていました。

赤ちゃんに本当に依存しまくり。もう自分を別けるとか、冷静にとか、気持ちを切り替える、ということが本当に難しく、キツかった。赤ちゃんと運命共同体的な。本当に自分と同一化させてました。

コロナで、将来になかなか希望を見出せない方いると思うんですが、絵本、そして映画化される「えんとつ町のプペル」おススメです。

希望って信じるのが難しいときもあります。見えなくなるとき、失ってしまうときもあります。

でもやっぱり生きていくために必要なものだと思います。

なんの確証もないのに信じられない。期待して裏切られた気分になりたくない。大人になるにつれ、割り切ったり、諦めることが早く上手になりました。

でもずっとずっと信じていたら?わからないことは、ないかもしれないけど、あるかもしれない。

ないと思うと悲しくて、あると思うと、それは生きる力になると思います。難しいけど!!

希望は1個じゃなくていい。たくさん持ってることで生きる力が増すような気がしてます。難しいけど!!

忘れちゃいけない気がするので、自分でも読み返せるようにここに書き留めたいと思います。

また書きます!













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