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大家という稼業(家なんてただの箱だ)

 築四十年くらいのマンションの一画に下駄履きで入っている小さな呑み屋を買った。
 「売主様はお忙しい方なので、この日この時間しか東京にいられません。」と、仲介さんに契約決済のスケジュールはピンポイントで指定され、どんだけ忙しいんだよと思いながら、言われるがまま会場に出向いて、若い売主さんと名刺交換をした。「資産管理会社の名刺は作ってないので、本業のやつで…」そう言われて渡された名刺を見ると、誰もが見知ってるだろうロゴマークと取締役の文字が並んでいた。
 そして新幹線に向かうまで三十分しかないという慌ただしい契約決済の合間に「うちは母子家庭でね。小さい頃はここで母が店をやっていて、女手一つで育ててくれたんだ。」と、亡き母親がやっていたお店の思い出や、得意料理のことなんかを語ってくれた。
 それから十年近く経つけれど一度も退去がなく、なんだか縁起もいい気がしているのでこの店舗はマンションが粉になるまで保有しようと思っている。

 築六十年くらいのブロック造の喫茶店を買った。
 契約のとき売主お婆ちゃんの横に、仕事終わりで駆け付けてきた息子さんがぴったりと寄り添って、仲介さんと契約・重説を一言一句確認しながら読み合わせをしていた。
 「不動産の契約とか初めてなので、色々と不慣れですいません。」白髪まじりの真面目そうな男性だった。彼の仕事が終わるのに合わせて遅い時間からスタートしたので、彼が質問をしたり、メモを取ったりしながら、重説を読み終えるのはすっかり夜更けになってしまった。老いた母親が騙されないよう自分が守るんだという姿勢が伝わってきて、なんだか暖かい気持ちになったけれど、契約の場で買主がニコニコしてるのもそれはそれでよくないなという考えもあり、どういう顔をしたらいいのかちょっとわからなくなった。
 お婆ちゃんは二十歳くらいで東京に嫁に来て、まだ真新しかったこの建物で夫婦でお店を開いて、それから建物と一緒に六十年を過ごしたことになる。子供たちが生まれて、大きくなった子供たちの部屋を屋上に増築して、その子供たちも独立して、お父さんが先立ち、いよいよ階段が登れなくなって、お店に出るのもきつくなってきたし、子供たちがもうお母さんは休んだらというからね。
 そんな長かった契約が終わる頃になって地場業者(9)の社長が部屋に入ってきて「契約書にはこんなに色々と書いてあるけど、つまり今日大事なことはこれだけ。買主さんはちゃんとお金を払う、売主さんはちゃんと物件を渡す、それだけっ。瑕疵担保免責で何も言わない買主さんが見つかってよかった!本日は契約おめでとう!」と、わけのわからない演説をぶって消えて行った。なんなんだ。

 後日決済が終わってから買った喫茶店を見に行った。常連さん達からの閉店を惜しむメッセージやお婆ちゃんの似顔絵などがシャッターに貼られたまま残っていた。
 謄本に「居宅・店舗」と書かれている、昔ながらの商店街によくある小さなお店と自宅がくっついていて、お店の中を通らないと二階の自宅に上がれないタイプの建物だ。
 お婆ちゃんから引き渡された鍵で中に入り、とんでもない急角度の階段を登って、あとから増築したという三階の子供部屋に入る。そこには野球選手のポスターや作り付けの二段ベッドがそのまま残っていた。あの息子さんはこの家で生まれて、この景色をみて育ったんだな。そんなことを考えながら窓から外を眺めた。道路斜線を超えて増築してるだけあって周囲の屋根がたくさん向こうまで見えて気持ちのいい眺めだった。

 契約や決済の時に不動産との個人的な思い出を語りだす売主さんは多い。
 不動産と共にそこで過ごした思い出も手放す気持ちがして、自分しか知らない思い出を買主にも少しは知っていておいてほしいと思うのだろうか。ぼくはそれを聞かせてもらえる時間が嫌いじゃないし、ときどき決済が終わった緊張感から解き放たれて、急に饒舌になった売主さんが「昭和六X年の台風では、腰より上まで水が来て家電がぜんぶ壊れてほんとたいへんだったよ。」みたいなことまで言いだして、仲介さんが泡を吹き始めることもある。保険に入るからもういいよ。
 一方で、自分で一度も物件を見てもいないまま転売しようとする業者とのお金が欲しいはやくお金!以外の気持ちが一ミリも感じられない殺伐とした取引もなんだかプロっぽくて嫌いじゃない。決済はたまにしかできないからだいたいなんでも好きだ。もっともっと決済したい。

 「家への思い入れは捨てろ。家なんてただの箱だ。大事なのはいくつ手に入れるかだ。家をたくさん持てば女たちも喜ぶ。そうだろ、違うか?」

 これは映画「ドリームホーム」で、家族で暮らしていた家を取り戻せば自分の元に家族が戻ってくるんじゃないか?という幻想に取りつかれた部下のデニスに、強引な追い出しばかりしてる不動産屋の社長が放つセリフだ。金はあるんだ。家は他にいくらだってあるじゃないか。とても不動産屋っぽい。
 ひどい映画なんだけど、家なんてただの箱だ。ぼくはこのフレーズがけっこう気に入っている。不動産への思い入れは捨てて冷徹に投資家として取引するんだということと、映画とはちょっと違うけれど、箱そのものに価値はなく、その中で営まれる生活や仕事こそが不動産の価値の源泉なんだという、大家的にふたつの意味合いに取れるところがよい。

 ちなみにお婆ちゃんの純喫茶店は、築六十年の建物をそのままリノベしてすっかりおしゃれなお店に生まれ変わった。かつて自分が働いていた場所で、いままた若い人たちが自分のお店をもって一生懸命働いている姿を、働ききったお婆ちゃんは通りすがりに見てくれただろうか。





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