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大家という稼業(利回り40%の後遺症)

 最大限かっこよく言うと、上場企業の事業買収をしたことがある。
 imodeサイト退会遷移複雑化業界で名を馳せた某上場企業が、もっと投資家ウケのいい新事業にピボットすることになり、落ち目の既存事業はぜんぶ譲渡するという話で…まるっと、そこの運営するガラケー事業(月額300円で占いができたり、待ち受け画像がダウンロードできるやつね)が売りにでることになった。
 そういう話があると不動産と一緒で、調子のいいブローカーが両手10%の手数料を欲しさに擦り切れたPDFを持ち歩くのだ。木造アパートの一室でやってた弊社にも、どこからか手数料の匂いを嗅ぎつけてブローカーがやってきた。デューデリには何社かの競合も参加して、入札でぼくらが競り落とした金額は湾岸タワマン一戸分くらいだった。

 いつもパジャマのような服を着て、DAISOで買ってきたお菓子を食べながらやってる仲間たちと、落ち着かない高層ビルに招かれてスーツを着た上場企業の役員たちとの打ち合わせ。調印後の会食。ちょうど似たような事業をやっていた取引先の仲良しの担当者が会社を辞めたいというので、そのまま引き抜いて買収事業の担当者になってもらった。
 「ねーねー。私、一応退職したんだからお餞別とかくださいよー」
 「転職祝いに〇千万円のサイトを買ってあげたじゃん。」
  はじめての高額投資(身の丈にしては)、いきなり増えた事業やスタッフ、小さな会社なりに盛り上がっていた。それまで次の展開が見えず閉塞感が充満していたのに、すっかり空気がよくなった。みんなで手分けして取引先に引き継ぎの挨拶回りと契約のまき直しを行った。あちこちの会社で買収先として紹介されて、誰も知らない弊社の名刺を配るとき、みんなちょっと誇らしそうにみえた。

 買収時の利回りは40%を想定していた。当時、ぼくは経営陣でもなく月額固定給4万円の完全フルコミ業務委託おじさんという立ち位置で、株も持っていなければ、吹けば飛ぶような小さな会社で正社員にしてもらう意味も薄かった。そこで、この買収に関しては個人保証を入れて社長から足りない分のお金を借りて、買収代金の半分を負担させてもらった。
 お金を出してるのは半々、リターンも半々、その代わり買収と運営にかかる実務はぜんぶやる。担保価値がない事業投資にお金を借してもらってレバレッジをかけられると考えたらいい話だ。合理的で物分かりのいい社長だった。

 さて。PER2.5。利回り40%で取引されるような落ち目の事業だ。初年度はなんとか40%を回収したけれど、2年目30%、3年目20%…世の中にスマートフォンの普及するのと反比例して、すごい勢いでガラケー事業の売上は溶けていった。ようやく投資金額全額を回収してトントン≒ぼくはタダ働きというところまでこぎつけたのはもう4年目のことだった。ジョブズがにくい。
 買収前よりさらにどんよりしてしまった社内。だんだんスタッフは毎日出社してこなくなって、コロナでもなんでもないのに在宅勤務になった。ぼくも不動産投資ポータルサイトを見ては利回り高い順にソートして日がな一日を過ごしていた。不動産投資とやらを始めてこの利回り50%の宇都宮のビルを買ったらいますぐセミリタイアできるんだろうか。ジョブズがにくい。

 買収したサイトによっては赤字になるものも出てきた。売れた分だけパーセンテージで版権者にロイヤリティを払うようなコンテンツはいいんだけれど、固定費で月に幾らという契約で借りているものなどがだんだん売上減少と共に負担が重たくなって利益が消えていった。
 たとえば売上100万円で固定経費40万円なら利益は60万円だ。そこから売上が3割減って70万円になった時、なんと利益は5割の30万円も減ってしまうのだ。大丈夫、あたりまえのことを書いているって自分でもわかってる。
 なんとかコンテンツを版権フリーのものに切り替えたり、固定費で借りているものをチープなものに内製化したり、地道なコストダウンを繰り返して…そこからも年10%、5%、3%…と利益を積み上げた。いまでも年1%くらいの残存利益があるようでたまに忘れた頃に配当されてくる。ガラケー使ってる人なんてここ何年もみたことないけど、imodeフォーエバーだ。夏野がすき。

 そうしてねばり強く積み上げた利益は10年目で初期投資額の130%くらいにはなっただろうか。とっくに事業価値はゼロだろう。フルエクイティでそれなりに引き継ぎや運営に時間もかけて、トータルしてみれば年3%の利益にしかならなかったことになる。入口は利回り40%の投資のはずだったのに。
 元本が回収できるものと、元本が消えてなくなるものを、利回りで較べてはいけないということがよくわかった。身に染みてわかった。

 この時の後遺症は投資家としての人生に暗い影を落とし、いまやアパートしか信じられない体になってしまった。
 太陽光発電が来た時、固定価格買取制度が終わったあとに残るのが中古パネルなら、ほぼ土地値になってる中古アパートの10%とは較べるべくもないよね?と、国策とフルレバの観点を忘れて発電しそびれてしまった。
 かぼちゃの馬車が来た時、人材派遣だか家賃外収益だか知らないけど、お前の事業プランがこけたら残るのは利回り半分の狭小シェアハウスで土地代は3割がいいとこじゃねえか!と追い返してしまい、お城の舞踏会には行けずじまいだった。
 コインランドリーが来た時、これって想定の売上が半分になったら利益はぜんぶ吹き飛ぶし、その瞬間に事業価値もゼロになりますよね?と思って手を出すことはなかった。いまでも雨の日は憂鬱なままだ。
 ミニホテルが来た時、これが普通のアパートに戻ったら表面3%になるんですが…と、手を出せないままインバウンドで浅草に無限に流れ込む外貨を指を咥えてみていたものだけれど、いまやコロナで誰もいなくなってしまった。
 もうアパートしか信じられない。



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