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大家という稼業(仕事なの?)

 「いいなぁ。大家業でメシが食えて…。」
 運転席でハンドルを握っているお爺ちゃん不動産屋がぽつりとつぶやいた。

 決済の帰り道、最寄り駅まで送ってもらっている時のことだった。言うけど、あなたさっき三為でぼくから600万円を抜き取ったし、その物件は地主のお爺ちゃんの物件を友達づらしてはぎ取ったやつだし、免許番号は1で娘さんの名義だし、好き勝手に不動産屋を満喫してるじゃないですか!と心の中で叫んだあと「おかげさまでなんとか。また次もよろしくお願いします。」みたいな適当なことを言った。はたして大家業はいいものだろうか。

 大家は、こうしたコテコテの街の不動産屋さんをはじめ、売買仲介、銀行、信金、信組、ノンバンク、司法書士、賃貸管理、建物管理、客付仲介、保証会社、内装、電気、ガス、水道、設備、建築士、大工、測量士、弁護士、税理士…たくさんのプロフェッショナルに日々支えられている。
 たくさんの仕事を目のあたりにしながら、正直なところぼくは大家以外の仕事をやりたいと思ったことはない。卓越したコミュ力を武器に取引をまとめる仲介さん、かっこいい内装デザインを仕上げる職人さん、ややこしい資料や争点を知的ブルドーザーのように整理していく弁護士さんなど、それぞれ憧れや羨ましさを感じることはあるけれど、どの仕事もとても自分には務まる気がしないので、結局のところ人は持って生まれた性格や体質にあわせて落ち着くべきところに落ち着くのではないかという気がしている。

 そもそも大家というのは、仕事なのか微妙なところがある。
 まったくの門外漢でもアパートを買えばすぐに大家になれるし、なんなら融資までつく。相続したその日から大家になれるし、それでいきなりアパート経営が立ち行かなくなることもないだろう。他の商売でいきなり素人にお金を貸してもらえたり、経営者が死んだ翌日も1円たりとも売上が減らない商売があるだろうか。お客である入居者さんだって部屋の設備がちゃんと使えるのかは気にするけれど、大家がちゃんとしてるのか考えることはないと思う。
 世間的にも大家や地主というのはきちんとした正業というよりは、不労所得で暮らしているろくでなしで、朝はちゃんと起きられず、昼から酒を飲んで、まともな社会性を欠いてだんだんと偏屈で狭量になり、お金はあってもどこか満たされない、疑い深く孤独な暮らしをしている哀れな奴らだと思われているのではないだろうか?たしかに10年やってみると、だんだん自分もそんな感じになってきた。

 さて。不動産賃貸業の特徴を考えると、土地と建物が働いてくれる装置産業であり、太古の昔からある成熟した業界なのでアウトソース先が無数にあるのが特徴だ。そのため不動産投資家としては情報収集・物件の取得や売却、そしてどこまで借金玉を増やすかといった投資判断に専念して、あとの日常業務はPMフィーで利益が減ろうと、6畳用エアコン交換で12万円かかろうと、すべて外注することに決めている。草はむしらない。電球も交換しない。そのため何か新しいことに自らの意思で手を出さない限り、日々やらなくてはいけない業務というものがそもそも発生しない。(あまりそうなってない点について別の機会に愚痴りたいと思う。)
 ただし自分が働かなくていいということは、自分が必要とされないことの裏返しでもある。その昔、IT土方をしていた頃に、高熱が出ているのに成果物を〆切にあわせて納品すべく、朦朧とパソコンに向かっていた時の悲壮感をいまも覚えているけれど、いまや一ヶ月くらい寝込んでいても、取引先の誰も気付いてくれず売上も落ちないわけで、それはそれでちょっと空しい気持ちがある。

 書斎に整然と並ぶ、賃貸借契約書と金銭消費貸借契約書と業務委託契約書のバインダー。これらの無数の書類にひたすらハンコを押すことだけが仕事であり、ハンコを正しい場所に押すと毎月家賃が振り込まれローンが引き落とされる。ハンコを間違えた場所に押すとろくに家賃が入らずローンを滞納して最後は破産したりする。
 自分の力で何かを成し遂げるというよりは、今日と同じ明日が来るという世界観の下、契約を積み重ねてそれらが履行されることを祈り続ける。どこまでも他力本願な稼業だ。気が付いたらそれしかしていないし、それしかできないから続けている。


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