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恩讐

母は産院でウヰスキーの小瓶を肌身離さないので
怒った婦長に追い出されたと云う
恐らくは悪阻の度に
アルコホルで痛苦を誤魔化していたのであろう

母は産まれた私に母乳を飲ませるときかなかった
まだ意識のない私が吸う乳首からは
ゆらゆらとアルコホルのかほりがした
ゆらゆら
ゆらゆらと
酩酊して私は生まれた

母は私に産湯を浸からせることも無理だったので
母方の祖母がわざわざあづさで上京してきて
年老いたその手で私を洗面器におよがせた
ゆらゆら
ゆらゆらと
白黒TVを見ながら私は泳いだ
東京オリンピックが始まっていた

母との暮らしは不安定なワルツのようで
彼女を世話し守るために私は無表情になり
ゆらゆら
ゆらゆらと
心も身体も振り回されて
私は泣いた

やがて年月は無常に流れて
母はその身を安楽椅子に委ねるようになり
彼女が消し忘れたガス台の炎が
ゆらゆら
ゆらゆらと
部屋を家具を燃やし始めていた

私は一切合切を詰めた鞄を持って
煙の篭もったドアを開けて
外に出て振り返らずに真っすぐに歩いて行った



                                   初出 詩と思想2017年9月号



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