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羽根のない夏

それは蒸すような
夏の終わりの昼下がりで
私は薄鼠色の殺風景なパイプ椅子に座っている
手土産に持参した生協の冷凍みかんを
テーブルの隅に置いたまま
てきぱきした雰囲気の
中島と言う名札を付けた相談員が
ドアを開けて私を見た途端しかめ面をした
女がこういう紺のストライプのシャツと
同じく濃紺のパンツ姿で来たのが
気に入らなかったらしい
「あなたね、女性は普通
ストーカーにはならないんです」
「だからそれは誤解です。
彼がストーカーなんです」
相談員は取り調べをする雰囲気で
私のスマホをひったくるように見て
LINEの履歴にしかめ面をした
「あのね。
これ、あなた
うざいうるさい重たい女です」
「……」
「男はこれは逃げますよ」
「私」
「何ですか?」
「メンタルな病気なんです」
相談員は声を荒げた
「鬱でもなんでも
幸せな結婚をしている人は山のようにいます」
(あなたはじゃあ私と結婚しますか?
(無責任なこといわないでください
「とにかくね。
この男、また連絡してくるタイプです。
あなた引っ越しできないの」
(だから私はストーカーじゃない
(引っ越しするお金はありません
私の沈黙に相談員は言った
「電話番号、変えちゃってください。
あなたのためにそれが一番いい」

突っ返された冷凍みかんを持って
外に出ると目がじんわりとして来た
さっき咄嗟に
この涙を見せるべきだったのに
浦和警察署と書かれた看板の前に
地元のゆるキャラがにこやかに突っ立っている
私はなけなしの努力をして
暑い日差しの中を日傘もなく
家とは逆の方向へ歩き始めた

お風呂に入っていて
お湯が流れるプールみたいに揺れ出した
あの夜
TVには渋谷の帰宅難民の画像があふれていた
《揺れてない?
こわくない?》
(怖がっているのはあなたでしょう
(そこは震源地に限りなく近い
《うん大丈夫だよ。
そんなに揺れてないよ》
それから頻繁にメールが来て
彼は二週に一回は東京へ出てくるようになり
私たちはちょくちょく食事をすることになった
鈍行の列車代はそれなりに
かかっているようだった
《昨日川内村へ行ったよ。
雨に降られた》
(……
(あなたの放射線測定カードはもう薄茶色
《大丈夫だよ。
僕は転職を考えている》
(あなたの左耳の破れた鼓膜
(高卒で働き始めた理由
《僕は
社会福祉士になる》

私はしゃにむに詩と小説を書き
顔を見るたびに
灰褐色になってゆく彼に
たまに小為替を送るようになった
三ヶ月ぶりにしか会えない日は
居間のソファで
ただ単に抱き合って目をつむっていた
「近所の子どもたちの間にさ
北斗の拳が流行っちゃってさ」
(どんどん黒に近づいてゆく焦げ茶
(親戚一同の反対
「試験は終わったけど
仕事が見つからないんだ」
(私は私の仕事がしたい
(もうこれ以上は出せないの
彼はひょうひょうと
何も気にしていない素振りを続けている
ある時はりつめた
心の糸がぷつんと切れ
私たちは喧嘩をするようになった

ドコモの携帯ショップで
適当な言い訳をつけて
店員の興味をそらしながら
電話番号を変えた
LINEのポップアップ機能だけが
どういうわけか残ってしまい
空白のメッセージが
5,6回上がってやがて消えた

誰が誰の責任を
一体どれだけ取り得るのか
と言うことについて
私は無知だった
絆というものを辛うじて一旦断ち切ることが
私のした選択だった

半年後
どぶ鼠色の彼らしき姿が
玄関のモニターに映りこんだけれども
私は親指で証拠画像だけ保存した
(色男金も力もなかりけり

あれから七年が過ぎ
東京オリンピックはもうそこまで来ている
私は
スポーツジムで毎日
サーキットトレーニングをしながら
〆切の来る毎日を
必死でこなしている
帰宅すると居間に飾ってある
3.11の彫刻展で買った
木彫りの天使像の羽根にそっと触れる
TVでは
南北首脳が共同宣言に署名している
いつか彼がメールで送ってきた
風力発電機のプロペラの背後の凪いだ青空の希求している
明日へと
繋がっている
今日この日

私には

肩を並べて歩くことのできる男性がいる
その人はいつも口癖のように
こうつぶやくのだ
「過去と他人は
変えることはできない」



          初出 妃20号 2018年9月



               

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