サブキャラになっても活躍が衰えないキリトさんの凄さ−『劇場版ソードアート・オンライン 星なき夜のアリア』−

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10月30日から全国劇場にて公開が始まっている『劇場版ソードアート・オンライン 星なき夜のアリア』。本日31日に見てきたので感想をまとめていこうと思う。 僕はSAOシリーズについては無印SAO原作(電撃文庫版)をアリシゼーション編の終わりまでと、アニメ1期(アインクラッド)を数話、2017年公開の『オーディナル・スケール』まで履修している。アニメ2期以降、およびスピンオフ作品などには触れていない。『プログレッシブ』シリーズも未読だ。

今回の劇場版について簡潔に感想を述べるなら「目新しさはあまりないが、面白さは安定している」といったところ。そもそも今作はアインクラッド編をアスナ視点でやり直したものであるから過度な目新しさに期待するのはお門違いではある。し、これまであまり触れられてこなかったアスナの軌跡を知ることができるという意味では十分に目新しさがある。『オーディナル・スケール』のような”新しい発想や設定”がない、というだけだ。

今作については個人的に作中最大の謎だった「なぜ良家のお嬢様であるアスナがSAOに閉じ込められ、攻略組として活躍するようになったのか」が描かれていたのが良かった。無印SAOで多少の言及はあったものの、あまり納得のできる理由ではなかったように記憶しているからだ。

ストーリーの詳しい内容については省くが、今作を見て改めて実感したのが、やはりSAOシリーズは「キリトありきである」ということである。

SAOPの主人公はアスナであり、キリトはあくまで脇役に過ぎない。しかしながらそれによって彼のカリスマ性というかヒロイックな部分が増していて、より魅力に磨きがかかっているように思えた。

無印版のマザーズ・ロザリオ編でもそうだったように、どんなに困難な状況に陥っても「キリトさえいればどうにかなる」感がかなり強まっているのだ。主人公としても脇役としても十分な魅力を発揮するキリトのキャラクターとしての強さを、再認識させられた。

また、無印版と同じく「”ゲーム”と”人間”の関わり」というテーマも一貫して存在していた。

『異世界モノ』と『VRMMORPG』がネット小説を始めとする現代日本の2次元エンタメ界隈における二大人気ジャンルであると認識しているが、後者の人気に火をつけたのは間違いなくSAOシリーズであるだろう。

『異世界』は優れた作品が比較的多く、「”金字塔”と言えばこれ!」という作品は割れると思う。

しかしながら『VRMMORPGモノ』についてはおそらく、SAOが原点にして頂点にいると思うし、おそらくは今後もそうであり続けるだろうと思っている。

ではなぜSAOシリーズが『VRMMORPGモノ』の頂点なのかと考えたときに、前述した「”ゲーム”と”人間”の関わり」というテーマを一貫して描いているからだと再確認することが出来た。

「これはゲームであって、遊びではない」というのは本作SAOPでも登場する通り、SAOシリーズの代名詞的セリフである。

これはゲームがいかに人間関係に、人間社会に、あるいは人間そのものに影響を及ぼすのかということを端的に表現した非常に素晴らしいセリフだ。

『VRMMORPGモノ』の小説の中には、「それ、ゲームである意味あるの? ファンタジーにしてよくない?」と言いたくなるような作品がいくつもある。

しかしSAOシリーズについては「この物語の舞台はゲームでなくてはならない」という明確な理由が存在している。だからこそ今シリーズはほかの同ジャンルの作品と一線を画し、頂点に君臨し続けているのだと思う。

そしてその一貫性はSAOPでも変わらず、今後もまた、受け手に別の視点や気づきを与えてくれることだろう。

今まで手を出してこなかったSAOPシリーズだが、今回の劇場版を見て、強く興味をそそられた。溜まりに溜まっている積ん読を読み終えたら、手を出してみようかなと思う。


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