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問わず語り 横山ミィ子『お雑炊』

12月5日発売の少年画報社コンビニコミック『年末年始思い出食堂 三太の新春大感謝祭』に掲載して頂きました。どうぞよろしくお願いします。

本作は壺井栄の小説『二十四の瞳』に依拠(いきょ)し、木下惠介監督の同名映画を参照して制作した、いわゆるオマージュ作品である。

私は作品制作時に音楽を聴くことができない(だんだん聴こえなくなり、気づいたらCDが終わっている)のだが、人の話は聴けるので、漫画を描いている時にBGMとしてラジオ番組やポッドキャスト、落語を聴くことが多い。そんなことを知っていたわけでもなかろうが、私が制作中のある時、母が勧めてくれたのが、この壺井栄『二十四の瞳』の、NHKラジオ番組での、藤澤恵麻さんによる朗読だった。

初めはシブシブと聴き始めたがだんだんひき込まれた。主人公の大石先生が足の怪我をして休んでいたときに、生徒たちが先生に会いに行くというハイライトシーンでは、涙をぬぐいながら漫画を描いたのを覚えている。大石先生とその母親は、遠い道のりを歩いた子供たちに、キツネうどんをこしらえてふるまった。後に生徒が、「あのときのキツネうどんは、思い出してもよだれが出るほど美味しかった」と回想するくだりで思ったーー「思い出食堂」では、このキツネうどんのようなエピソードが理想なのではないかーーと。

小説の最初で、主人公である大石久子先生は12名の子供たちの担当となり、「この二十四の瞳をくもらせてなるものか」と決意し奮闘するも、子供たちは戦争に向かっていく時代や、人々の心のありように翻弄されていく。本作で主人公となるのは、その中でもとりわけ不遇だった、川本松江(かわもとまつえ)である。年が離れた妹を産んだばかりの母親を喪(うしな)い、すぐに妹にも死なれ、父親から力ずくで食堂に奉公に出させられてしまう。母の死をさとったときの松江、「うわあ、わあ、おかあさーん」と叫んだ松江を思うたび、胸が張り裂けそうになった。

だから、松江には過ごして欲しかった。幸せな子供としての人生を。

両親ともに元気で仲むつまじく、毎日温かく栄養のあるごはんを食べられて、学習環境が整い、結婚して仕事もし、たまには妹とご馳走も楽しんで、協力しながら家族を支え合う人生。なんということか、私がこれまで、苦労もなく享受してきた幸せだった。自分自身がいかに恵まれた環境にいる人間か、考えざるを得なかった。貧困、虐待、ヤングケアラー。壺井栄が描いた戦前の田舎の状況が、現在の日本と無縁だと誰が言えるだろうか?木下監督の映画で、本当なら松江も参加するはずだった、修学旅行の船を見送りながら、松江はいつまでも、いつまでも泣いていた。この状況を打破するのは、われわれ大人の責任なのである。

最後に、この作品制作にあたってなくてはならなかった先人の仕事を紹介したい。ごはんを洗うという手法は、うえやまとち『クッキングパパ』のエピソードで学び、私自身何度も試している。犬に会いたいというのは、私の実家の近所の子供たちが、以前飼っていた犬のアウディによく会いに来てくれたことから思いついた。本当はニューファンドランドという超大型犬だったが、あまり飼っているケースはないかと思い、別の犬種にした。コーギーに決めたのは、古谷三敏『レモンハート』を読んだとき、コーギーのしっぽは「ないのではなく切られている」ということを知り、もっと伝えられるべきとずっと思っていたため。

作中、子供たちが聞いたピアノの音は、ドビュッシー作『アラベスク』、今も昔も変わらぬ人気曲である。私の幼馴染でありピアニストである河村晶子氏が、私の実家のアップライトピアノで弾いてくれたときの、色とりどりのガラス玉が跳ね上がっていくような、夢のような響きが忘れられない。お雑炊の鍋には百合の絵を描いているが、これは松江が両親に「百合の絵が描いてあるお弁当箱が欲しい」とねだったこと、のちに大石先生が百合の絵が描かれた弁当箱を贈ったことから。絵は、アルフォンス・ミュシャの名画『百合』を真似して用いた。多くの素晴らしい先人の仕事に支えられて、私は生きている。

表紙の絵の資料


【参考文献】

  1. 壺井栄『二十四の瞳』角川書店、1961(第60版)。

  2. 木下惠介監督映画『二十四の瞳』、松竹、1954年公開、Amazon Prime。

  3. うえやまとち「あったま〜〜るおにぎり雑炊」『クッキングパパ』第44巻、講談社、2013、Kindle。

  4. 古谷三敏「コーギーのシッポ ペンダーリン・ウェルシュ・ウイスキー」『BARレモンハート』第22巻、双葉社、2006、Kindle。

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