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痛烈な批判、小説への信頼、耽美世界の妙ー川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯」

以下、結構ネタバレになると思うので、どうぞお気をつけて。


「冒認(ぼうにん)出願」という言葉を思い出した。特許権に関し、実際には発明に寄与していない者が発明者として出願するものだ。その場合、その権利は無効となりうる。法制度としては真の寄与者を救うシステムはあるけれど、救われないケースはとても多いのだろう。

『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、アンソニー・アンダーソン(筆名であり、本名はジョージ・ジョン)によるジュリアン・バトラーについての回想録である。その回想録を翻訳し、まえがき、あとがき、参考文献をつけたもの。ーーーとはいっても、ジョージ・ジョンとジュリアン・バトラーは架空の人物。ノンフィクション小説である。小説のジャンルの中でも「メタフィクション」と評されるが、その辺りは私にはよくわからない。ただ私は思う、書評家である川本直氏が小説という形式を取ったのは、氏のメッセージを伝える「手段」であり、メタフィクションの形式となったのは「結果」であると。それでは氏のメッセージは何か、それは「出版業界、書評家、報道、メディア、クリエイターへの幻滅」だ。

回想録はジョージの一人称で語られる。ジュリアンに出会い、恋し、失望させられる。憎み、心配し、心踊らされ、翻弄される。その中に差し挟まれるのは、過去描写のフリをした日本の現実描写だ。見かけのいい著名人を追いかけ、批判されるとこき下ろす出版業界や報道関係者。個人に対して組織的に嫌がらせをしたり、勉強もろくにせずに作家になりたがったり。

「評論家は小説家より酷い職業だ。・・・百の小説があれば百通りの書き方がある。それを読み取るためには一つ一つの小説に内在する固有のルールを理解しなければならないのだが、そんな能力は評論家にはない。せいぜいでっちあげた理論を作品にあてはめるか、最悪の場合は作品を自分が信奉するお粗末なドグマのダシにする。・・・」(331-332頁)

なお、「あとがきに代えて」で語られる、ジョージの正体を知ったときの、川本氏の心のうちは以下の通りである。

「僕もゴーストライターの経験はある。・・・何故ジョンは墓まで持って行こうと思えた出来た事実を公にする必要があったのか。バトラーの小説は自分のものでもあると主張したかったのか。」(362頁)

知財関係者の私としては、ジョージの公表は正当なもので疑問はないのだが、「書く仕事」の川本氏には複雑な心境があるのだろう。しかし「ゴーストライトはライターにとって当然の仕事であり、黙っておくべきである」ということが、氏の本音と考えることは私にはできない。何故なら、少なくとも私は、小説によって「ジョージの人生を疑似体験した」からだ。海外の専門書店からの資料を購入、時代考証のための歴史学者へのコンタクト、テープ起こし。ジュリアンのアイディアや台詞の創作はあるものの、具体的な仕事あってこその表現だ。その成果物に対し、ジュリアン一人の名前が付くことの心境は、真に理解できるものではないけれども、ジョージとして味わった気持ちになった。巻末の膨大な参考文献群も、ひとつの表現、作品を生み出すための、川本氏の地道な努力の軌跡を示すものだと思う。

川本氏はご自身の思いを、小説に託すことで、ソフトに世に提供したのではないかと思うのだ。これはまた小説、また創作というジャンルに対する敬意でもある。小説という形式によって、ある一時代のみならず、未来にも問いを投げかけ続けることができるのだから。

と、ここまで悲しみの部分ばかり述べてしまったが、本書はとても楽しく、エキサイティングな作品である。私は全然詳しくないが、アメリカ文学ファンだけでなく、クラシック音楽、ロック、絵画、ポップカルチャー、料理についての細かい描写が次々と現れてその鮮やかさに飽きることがない。川本氏の驚異的な文化的知識はお見事。

とりわけ私が夢中になったのは、ジョージが初めてジュリアンと出会った頃のくだりだった。とんでもない美貌の持ち主で、自分本位で他人に配慮がなく、ルールは守らないし、美しいもの好きで、怠け者で、たまにあどけなく愛らしい表情を見せるジュリアンの描写は、竹宮惠子の永遠の名作『風と木の詩』のジルベール・コクトーを想起させた。また、本書と出会って、久々に森茉莉の『恋人たちの森』を手に取った。ヴェルレエヌの詩の翻訳のような文体が続く森茉莉の世界を、次にいつ読もうかと思っていた私にとって、哀しくも美しい恋人たちのストーリーは、無意識に求めていたものだった。「耽美派」がお好きな諸氏にも、ぜひお勧めしたい作品である。

強いて私が不満だったのは、これだけ多くの欧米の作家名が出てくるにもかかわらず、オーウェルの名前が出てこないことだろうか。と思った矢先、語り手の名前がジョージであることに気がついた。全然関係ないわけだが、ちょっと嬉しい。

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