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トップバイラオーラ渾身の作品 内田好美フラメンコ舞台作品『孤独生vol.2/10~対価~』

ぐるりと扇状に設置された客席について開演を待つ。流れるのはニルヴァーナのアルバム『Never Mind』で、カート・コバーンの唯一無二のエネルギーと存在感にしばし思いを馳せる。内田好美うちだよしみ氏のソロ舞台作品の1作目は2022年5月15日に行われた『孤独生」vol.1/10~覚醒~』であった。私が彼女に師事した2006年頃から、いくどとなく彼女のバイレ(舞踊)を観てきたが、1回目の公演では、そのバイレのレベルのあまりの飛躍に驚いた。もう彼女は日本トップのバイラオーラ(舞踊家)と言っていい。そうして2回目も楽しみに待ってきた。

この『対価』では、彼女は踊りを愛しながらも時代と社会に翻弄される女性を演ずる。貧しくも周りと支え合いながら、踊り、幸せに生きていた女性は、戦争で世の中がどんどん変わっていくことに焦るも、自分の無力さに追い詰められていく。音楽が世界を平和にできるかもしれないという希望も、あえなく打ち砕かれていく。

内田氏はその悲劇をセリフ、音楽、映像、光による演出、そしてバイレで表現する。「自分に何ができるっていうの?」このいら立ちを、小さな陶器の板の上でのサパテアード(足の踏み鳴らし)で表すのだろう。陶器はだんだん粉々に砕け散るーー彼女の心のように。それに続く曲目は「ソレア」であり、これはフラメンコのスタンダードの中でも「孤独」を表す曲種である。彼女はひとりぼっちなのだ。そのさみしさが伝わってくる。

第二幕では、深紅の薔薇のような衣装で「アレグリアス」を踊る。バタ・デ・コーラという、大きなしっぽが特徴の優雅な衣装であり、その扱いには高度なテクニックが必要とされる。このシーンには「回想」というタイトルがついているが、「アレグリアス」という曲種は「生きる喜び」を歌うもので、メジャーコードの明るい雰囲気とあいまって、彼女がもっとも幸せだった日々を表しているのだろう。しかし時がすぎ、戦争で街も人も焼かれていく。生命力を表した衣装の赤が、血と炎を表す赤になっていく。美しい赤から一転して、衣装は鎮魂の黒になる。最後の曲目は「カーニャ」だろうか?冷酷な現実にさいなまれる女性の姿が見える。

人が立ち向かわなければ、世の中は悪い方向にしか進まないのだ。この作品の「対価」というのは、闘いをあきらめる代わりに、受け取らなければならない悲惨な現実ということだろうか。

なお、日本のフラメンコ舞台やライブに共通して言えるが、「スペイン語の歌詞の意味」がわからない、というのは課題だろう。言語の壁は厚いもので、意味がわかればもっと彼らの思いが理解できるのに、と苦々しく思うことはずっとあった。フラメンコ界のビッグ・ネームであるマリア・パヘスの日本公演では字幕がついていた。忌野清志郎の完璧な歌唱力と表現力でもって、曲を聞いているときゅっと胸をつかまれる気持ちになるが、あれが英語の歌詞だったらやはりそうはいかなかっただろう。『対価』でもカンテ(歌)の中に「ヴェルデ(緑)」という言葉がかろうじて聞き取れ、その後、舞台の床に映し出された薔薇が砕け散る映像を見て、「自然が壊されたのか」とは思ったが、その歌詞にアクセスが容易だったらいいのにな、とは思う。

今回の作品のきっかけは、そうとは語られないが、ウクライナの戦禍であろう。社会的なメッセージを込めることに逡巡もあったかもしれないが、彼女なりの表現で何か届けたいという心優しさには心打たれた。劇中の映像で、ピアノの鍵盤が焼かれる映像があったが、戦争は文化も破壊する。これまで書いてきたことは私の憶測にすぎないが、こうして抵抗の作品を世に出そうとする彼女の姿勢には私も勇気づけられている。

最後に。彼女のバイレの技術はやはり突出しており、それだけで十分観客を魅了する。身体の芯が安定してぐらつかないし、サパテアードの音は粒がそろっていて、パーカッションとして、一流のミュージシャン(驚きのご経歴の皆さん!)とも見事にセッションできる。特筆すべきは、すばやい動きをピタッと止める力で、音楽とズレがない。プロとして当たり前の技術なのかもしれないが、正直言って私には貴重な存在だ。大きな舞台で光輝けるこのバイラオーラのエネルギーに、私は大いに期待しているのである。


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