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拝啓「サイコだけど大丈夫」様。

やっと「サイコだけど大丈夫」に関する私なりの「反省文」を書こうという気持ちになった。
「サイコだけど大丈夫」を見た人も、まだ見ぬ人もちょっとだけお付き合い願いたい。

Netflixで配信されている
韓国ドラマ
「サイコだけど大丈夫」は
世界190ヶ国に配信され、
韓国のみならず日本や他の国でも
視聴者数1位を獲得している。

韓国の視聴率男、キム・スヒョンの兵役後初の主演作だったり
脇を固める俳優人も日本でいえば綾野剛レベルの演技派ばかりだったり
OSTが10曲以上あって、どの曲も米津玄師レベルだったり
まるで童話のような美しい世界観だったり…etcetc

各国のNetflixで1位を獲得した理由は枚挙に暇がない。

だが
私がここで伝えたいのは
この物語の
偏見をも打ち砕く凄みだ。

私たちの心には
時として「偏見」が棲み着く。

命をかけて感染症と戦うエッセンシャルワーカーの方々が差別されたり
障害を持つ方に酷い言葉を投げつけたり
肌の色だけで不当逮捕されたり、命を奪われたり

それこそが偏見の生みだした差別であり悲劇だ。

人間には動物的な本能があるがゆえに、自分とは違うものを異質な存在と捉えて恐怖を感じる。

その恐怖から身を守ろうとして
排除しようとする。

それが
差別の根源だ。

「サイコだけど大丈夫」は、

観た者の心に
隕石なみの衝撃で
大きな風穴を開けて

自分のこれまでの生き方や
自分が人とどう接してきたか

あるいは、

これからの人生や
これから人とどう接するべきか

物語の全てを通して
全力で語りかけてくる。

それも説教くさいセリフや場面一切なしに。
なんなら、セリフさえなしに。

サイコパスの童話作家
自閉症スペクトラムの特性を持つ兄
ヤングケアラーとしてアダルトチルドレンにならざるを得なかった弟
精神を病んでしまった人々…

「サイコだけど大丈夫」には
そういった偏見を招くであろう「異質な存在」があえて描かれている。

そのせいで
途中でギブアップしてしまう人もいるのかもしれない。

けれど、けれど
どうか最後まで見て欲しい。
なぜなら
最後まで見て初めて
この物語は「癒し」として完成するからだ。

この物語を通して
「異質な存在」の「人生」を知った私たちは
次第に
人と違うなにかが自分にもあることに気がついていく。

人には何かしら「欠けた部分」がある。
完璧な人間なんていない。

そして
「異質な存在」と線引きしていたのは私たちだと気がつく。

知ろうともしないで、偏ったものの捉え方をしていたと気がつく。
そうして偏見が打ち砕かれていく。

監督であるパク・シヌはこの作品を「反省文」だと言った。

「反省文」とはそもそも
許しを求めたり、自分の成長のためにしたためるもの。

物語のなかでは
私たちが知ろうともしなかった人々の抱える苦悩や弱さが描かれるけれど

彼らは
そんな自分の欠けた部分を
認めて
受け入れて
互いに支えあって
想像の遥か斜め上、
それこそエベレストなみに
成長していく。

そんな姿を見て
私たちは「許し」を得る。

私たちは私たちの欠けた部分に許しを得る。
「そのまんまで大丈夫だよ」
「欠けていても大丈夫だよ」

開けられた風穴から
心地よい風が吹き込んで
心が満たされていく。

そして
とてつもなく
癒されるんだ。

ドラマを見て
そんな感覚を得たのは初めてだったかもしれない。

この物語を
「ヒューマンヒーリングストーリー」だと、主演のキム・スヒョンは語った。

この物語は、私たち自身の反省文であり、癒しであり、成長の物語だ。

こんな時代だからこそ
より多くの人に
この物語を知って欲しい。
そして
偏見を打ち砕くこの物語に癒されてほしい。

多くのブロガーたちと同じ言葉で締めくくりたい。

大丈夫じゃくても大丈夫、あなたはあなた、そのままで良い。

ItsOkayToNotBeOkay.

敬具

「サイコだけど大丈夫」様

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