その言葉、セコムしてますか?
・はじめに
わたしには、顔にたくさんほくろがありました。小学生のころ、同級生に言われたある一言がきっかけで、ほくろがコンプレックスになります。これは、言葉で心が傷つき、そして、言葉に心が救われるまでのお話です。おなじように言葉によって、心に傷をおったひとの救いとなるヒントになれたら嬉しいです。
・沼地の「ほくろおばけ」
「ほくろおばけ」
これは小学生のころ、同級生からかけられた言葉だ。以来、「ほくろおばけ」は呪いに形をかえて、わたしの心の沼地に住みついてしまった。
確かに、わたしの顔にはほくろがたくさんあった。顔に散らばるほくろとほくろを繋げていったら、北斗七星などにならぶ新たな星座ができただろう。
同級生はリズムを刻むように、ほくろのことをからかってくる。わたしには、なぜか「人前で悲しんだり、感情をむきだしにすることは恥ずかしい」という気持ちがあった。だから、平気なふりをしつづけた。けれど、本当は泣きたかったし、心がひび割れるような残酷な言葉で反撃して、同級生を痛めつけてやりたかった。
ほくろよ!翼をはやして飛んでいけ!同級生の顔にのりうつれ!
どす黒いマイナスの感情で、「ほくろおばけ」の沼地は煮えたぎっていたことだろう。
顔からほくろがなくなれば、「ほくろおばけ」はただの言葉のひとつに戻るだろうか。
呪いから解放されたければ、「ほくろおばけ」の原因となったほくろをとるしかないと考えた。
・20代 。はじめてのほくろとりで、世界が赤く染まった
鏡を見る。顔より先に目につくのはほくろだった。顔がほくろで、ほくろがわたし。ほくろが脳みそを囲んでマイムマイムを踊っている。ひとの視線の先は、わたしのほくろで、ほくろの数をかぞえているんじゃないかと思ってしまう。
近所の皮膚科で、一番目立つほくろをとることになった。同級生から「鼻くそ」と呼ばれていたそのほくろは、上唇と鼻の下をまたぐように、顔のほぼ中心に鎮座していた。
ほくろをとる方法は、大きくわけて3つある。
・炭酸レーザーを使って除去する方法
・円形状にほくろをくり抜く方法
・切除して縫合し傷口をとじる方法
このときは、3つ目の「切除法」だった。
切除をはじめる前に、顔に麻酔の注射を打つ。顔面麻酔は、顔を力士に雑巾絞りされているようなゴツイ痛さだった。皮膚を切り裂いたとき、生あたたかい血液がブッシャアアアと梨汁のように噴き出した。世界が真っ赤に染まる。世界を赤で染めあげられるのは、夕陽日だけではなかった。
皮膚を縫われるとき、唇が明後日の方向にぐいぐいひっぱられて、口がひょっとこになった。
ほくろは、まだいくつも残っている。この痛みを繰り返していくのかと思うと気が重かった。
・30代 。ほくろ革命。ほくろは可愛い。
顔にほくろが居座り続けるのは嫌だったが、痛いのもおなじぐらい嫌だ。そして、残りのほくろに手をだすことをためらったまま、30代に突入してしまう。
鏡を見る。ほくろを見る。ほくろしか目にはいらない。ほくろが脳みそを囲ってマイムマイム。のルーティーンが相変わらず続いていた。
ある日突然、ダムが決壊するように限界がおとずれた。
これ以上、ひとつ皮膚のしたでほくろと共に暮らすのは耐えられない。痛くてもかまわない。目立つものから、ささやかなものまで、残る11個のほくろを一掃してしまおう。
ほくろの一掃は、口コミが抜群に良いという理由から、都内のラグジュアリーな美容皮膚科に託すことにした。
そして、きらびやかなその医院で、わたしは「ほくろおばけ」を沼地からはい上がらせるヒントを得た。このとき診察室で看護師からかけられた言葉は、のちのセコムである。
それは、
「ねぇ、その可愛いほくろとってもいいの?」
「可愛いほくろ」という言葉だ。
突如として、沼地の向こうに新しい大陸が出現したかのようだった。その新大陸では、ほくろを可愛いものとする文化が根付いている。
わたしのほくろは可愛いの?
ほくろはチャームポイントになりえるのだろうか。
もし、あの日の同級生の一言が、牙のないものであったなら。
もし、あの日の同級生の一言を、はねのける弾力のある心がわたしにあったなら。
わたしとほくろには別の未来があったのかもしれない。堂々と「このほくろはわたしのチャームポイントです」と言えていた未来が。
その未来を想像したとき、最後の最後で、私はほくろを失うことが少しだけ寂しいと感じた。寂しいと思えて、憎んだまま別れることにならなくて、良かったと思う。
・セコムしたわたし
処置がおわると、ほくろは11個の赤い穴に姿をかえた。わたしの顔には、傷跡にはる11個の丸いテープが、新たな星座をつくっていた。それは、ほくろだった時よりはるかに目立つ。
会うひと、会うひとに「そのテープはなに?」 と質問された。ほくろをとったことを話すたび、返ってくる答えはほぼ同じ。
「ほくろなんてあったっけ?」
たくさんあったのに。気にならなかったの?
「あったと言われれば、あったような気がする」
誰もわたしのほくろを知らない。ほくろは誰からも注目されていなかった。
あらためて思い返すと、わたしの顔のほくろを指摘したのは同級生ただ一人である。
たった一人の、たった一言。悪意のある言葉は牙がついた爆弾だ。心に噛みついて、爆発して、呪いにかわる。
ほくろを除去した傷跡は、もうすっかり消えている。一方で、「ほくろおばけ」の呪いは、ほくろがなくなってからも、完全に消えることはなかった。呪いとなった言葉は、しぶとく居座りつづけるのだ。
でも、今の私にはセコムがある。
ふたたび心の傷がひらきはじめたとき、看護師が授けてくれた「可愛いほくろ」という言葉のセコムが、かけつけてくれる。そして、傷に語りかけてくれる。
あのほくろたちにだって、可愛いところはあったのだ、と。
「可愛いほくろ」は、なぜセコムになったのだろう。それは、ほくろに対して、わたしひとりでは辿りけなかった新しい価値観を与えてくれたからだと思う。
考えすぎ、と言われても考えてしまう。
気にしすぎ、と言われても気にしてしまう。
だから、結局その場にとどまることになってしまう。
同じところをグルグルまわりつづけて、迷子になっていた。新しい価値観は、さまようわたしに「こういう道もあるよ」と他の道を気づかせてくれた。こうして、わたしは呪いを抱えつつも、広がりはじめた地図を歩きはじめられたのだ。
わたしは今、また新しい道に向かって進んでいる。ライティングを学びはじめたのだ。学びつづけることで、これからますますわたしの地図は広がり続けていくだろう。その道すがら、わたしの言葉も誰かのセコムになれたら嬉しい。
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