コー茶

ゴールデンウィーク前だと言うのに真夏日に迫る暑さが続いている。地球の環境変化と一言で片付けてしまえばそうなのかもしれない。地球誕生は45億年前だと言う。人類史は高々2千年を超えたあたり。ここ数十年は温暖化が懸念されているが、地球が凍り付いてしまった時期もあった。とは言え、地球を好き勝手にほじくり返したり積み上げたり、得体のしれない物を空に吐き出したり海にたれ流したり、感心できない看過できない事を人類が行っているのは確かだ。謙虚懸命に人類は生きなければならない。
僕の住む福島県ではメルトダウンを起こした原子力発電所の処理作業が続いている。終わりが見えないままに。汚染水あるいは処理水と呼ばれる得体のしれない者をたれ流している。もちろん法規的にではあるが。戦火も拡大している。恵みを与えてくれる豊かな大地は完全な不毛な大地に変えられてしまった。農業国の美しい景観はもうそこにはない。我々は等しく食べなければ飲まなければ生きていけないと言うのに。暴力や破壊などと言う主義主張あるいは方法では空腹は満たされない。ため息が出た。長く生きれば色々あると、わかったようなことを言うほどのつまらなさもない。それでも歳を重ね、抑え難く痛感するのは無力感ばかりだ。あまりにも僕は僕らは無力だ。そうではないと信じたいが。心が乾いていく。口が渇いていく。テーブルに置いてあったコーラに手が伸びる。そのペットボトルのキャップを回すと炭酸が吹き出た。爽やかな音と香り。人類が産み出した優れたものの一つだ。親しんだ香りにリラックスしろよと促される。肩の力を抜いて僕はそれを口に流し込んだ。甘み酸味はじける炭酸。爽やかになるひと時とはどのコーラメーカーのキャッチコピーだったか。音が大きくならないように小さくげっぷをした。ここまでがコーラを飲むと言うことだと僕は思っている。げっぷには気を付けなければならない。コーラーのエチケットだ。
コーラの木の種子に含まれる成分を主原料とした炭酸清涼飲料を主にコーラと言う。コーラの木はアオイ科の常緑高木で、葉は先がとがった卵形。花は黄色で果実は淡紅色。種子はコーラ飲料の原料の他に薬用にした歴史もある。原産は熱帯アフリカ。
清涼飲料水と言えば僕はコーラしか飲まない。その他の味に興味がない訳ではないが、結局コーラを求めてしまうのならコーラしか飲まなければいいと割り切った。ただしコーラと言っても各メーカーで味は違うし、フレーバーが加えられたものやコンセプトやコラボレーションと言った進化や鮮烈をその歳のコーラから体感する事もできるから飽きさせられることもない。一本気だからそれを深堀することもできると言うもの。今はこう言うことを沼にはまるなどと言うらしい。僕はコーラを総称して黒汁と読んでいるから沼との親和性もあるかもと一人語ちる。そう言えば、紅茶は英語でブラックティーとも呼ばれることが思い出された。冷蔵庫に貰った紅茶のペットボトルが入れっぱなしだったことを思い出した。少しの間思案し、そして僕は冷蔵庫に向かった。
紅茶とは、茶の若葉を摘み取り、長く低温発酵させ、乾燥させたもの。それを熱湯で煎じた飲み物というのが僕の紅茶に対する知識の全てになる。ほとんど知らないと言うことだ。紅茶のペットボトルのキャップを開けようとするが中々回らない。ペットボトルのキャップの方が硬くなったのか、僕の握力の方がなくなったのか判然としないが、気が付いた時にはペットボトルのキャップは硬くなっていた。つまり開けにくくなってしまったと言うことだ。手指の皮の痛さに耐えながら何度目かのアタック。「空いた。」 思わず声が出た。あまり飲むことのない紅茶だからこその興味が湧いてくる。。香りは記憶にあったものと変わらない。そうこれが紅茶だと言うような香りがした。口に流し込む。僕にとってこれは紅茶だと言う表現以外できない味だった。もう二口目はないと確信がある。何故ならぼくのことは僕がよくわかっているからだ。ペットボトルを前に呆然とする。実はこの紅茶のペットボトルは1l。残り900mlは優にある。どうしたものか。飲み切る自身はない。思い付きで行動するとあまり良い結果が得られないのはわかっていたはずなのに。しかし飲まなければ人類は僕は生きられないのだから仕方がない。コーラは残っていた。ならば、僕が紅茶を開けた事の理由が飲まなければならないと言うことではない。言い訳ができない。感情的。これはもっとも恥ずべき言い訳だ。事の次第を丸く収めたい。「そうだ。」 突然ひらめく。ひらめくとは突然なものなのかもしれない。いや熟考を重ねたからこそと言うこともある。このひらめきは突然の者だった。「よし。コーラに紅茶を混ぜてみよう。」 ひらめきと言うには凡庸な考えだった。ファミリーレストランで幼子らがドリンクバーで行っているものと何ら変わりがない。まあいい。やってみよう。思い切って半々で。名付けてコー茶。ネーミングは悪くない。さて味だ。まずは香り。さすがにコーラも紅茶も植物由来だからか悪くない。いや控えめになど言う必要がない。二つの香りは合っている。次に味だ。「これは。」と、感動の声が出た。炭酸は弱まっているのでげっぷは出なかった。確認のためもう一口大きく飲む。やはり悪くない。いや香りも味も合っている。良く混ざり合っていると言うべきだ。思い付きにしては行幸だ。コー茶ここに爆誕を祝いもう一杯カクテルする。伝統と伝統が手を取り合って新たなものを産み出す余地はまだまだある。美味しく平和に。これこそリラックスだ。

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