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キリストの平和に支配されて生きる

主イエスの十字架の死と復活の事実により、私達は救われ、恵みを受ける。

主キリストイエスを受け入れたのだから、キリストにあって歩みなさい、とパウロは語り、実際生活の教えを締めくくる。

キリストとともに歩む生き方があるのに教会の中には人を惑わす人が現れた。
食べ物・飲み物、まつりなど宗教行事によって救われるとするもの、もしくは禁欲生活を教えて、真実から迷わせようとするものがパウロの時代から、今日に至るまで存在している。

キリスト者の成長にも成熟にも役に立たない、と教えている。
教会はキリストの愛のうちに一つとされているのに、さばきあいが生まれてしまっては、成長することは出来ない。

最後の裁きに委ねて生きることを教えた。自分の右の手のことをしている善を左手に知られないように。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 (コロサイ3:15)

召されてとは、招集されて、招待されて、という意味。主の恵みを受けるためにキリストの体に招待された。私達は一人ではない。

必要なことは、キリストの平和。

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、
わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
(ローマ5:1-2)

神からの役割を担うものとして、招待された。過去の罪を公開することから開放され、愛されて生きるものとされている。
それが平和であり、安心。そして喜びがあふれる。

生きる意欲が増し、もはや自分のために生きるのではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる。

サマリアの女とイエス。

イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」 
彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ14:10-14)

信仰を持つ前は虚しい生き方であったのに、信仰を持ってからは主に導かれて生きることを感謝できるようになった。

闇の中から救われて、神との平和を持って感謝して生きる。キリストの体に加えられて生きる。

... 感謝の心を持つ人になりなさい。 (コロサイ3:15)

主に感謝することができているだろうか。
恵みを喜ぶものとさせられているのに、感謝の心が持てないことはないだろうか。

もし感謝の心がなければ、それは自分中心になっていないか、傲慢が芽生えていないか、考えてみてほしい。

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
(コロサイ3:16)

住まわせるという言葉。

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがた、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
(Iコリント6:19-20)

心から神に向かって歌いなさい、とある。
神の知恵はキリストによって表された知恵である。

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。 
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(Iコリント1:23-25)

御言葉を通して教えられる真理によって、私達は感謝し、変えられていく。

キリストの平和に生きるものでありながら自分の正しさを強調し、相手を責めることはあっても、譲歩することはない、ということはないだろうか。

和解を提供し、自らを譲歩することがある。
キリストの謙遜に教えられていく人。

成長したクリスチャンの生活の中心は神様を礼拝することになり、礼拝することを喜ぶ。

あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)

何かをするときには、主イエスの名によってなし、父なる神に感謝し、行いなさい、と結ばれている。

御言葉を通してますますキリストの平和に支配されて生きるものとして歩んでいこう。

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