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天国のカギ

ローマ1:5 2024 03 13
この方によって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。御名のために、すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすためです。

使徒というのは今で言えば教会開拓者や宣教師ということになるでしょう。だからといって教会はその人たちのことを使徒と呼んだりはしません。使徒的賜物を持った人ということはできるでしょう。クリスチャンの中に少数ながらいますが、この人たちがいないと未伝地への宣教は進んで行きません。言うならばロッククライミングで岩場を素手で登って基地を作り、ロープを張って後の人を登らせる人のようです。彼は次の基地を作ることに関心が強いので、後の人に任せて前進します。

パウロはまさに教会開拓者でありましたが、その目的は「異邦人の中に信仰の従順をもたらすため」でした。それはそのまま私たちのミッションです。神なく望みなくさまよっているプレクリスチャンが、向きを変えて自分の創り主にへり下るように働きかける務めのなんと光栄なことでしょうか。また同時に厳粛な召命です。私たちは人の永遠の運命に関わるわけですから、天国の鍵を握っているわけです。それをどのように用いたらよいかは人それぞれですから、方程式があるわけではありません。しかし一つ言えることは、最後は一対一の関係で地道に付き合うことがものをいうのではないでしょうか。

イエスさまは大衆伝道もしていますが、際立つのは一対一の個人伝道です。サマリアの女性、長血を患った女性、姦淫の女性、ツロフェニキアの母親、ニコデモ、ザアカイ、金持ちの青年、盲人バルテマイ、ヤイロ、百人隊長、ベテスダ池の病人、中風の人、パウロなど。イエスさまの場合は時間をかけていらなかったので速戦即決でしたが、私たちは愛する人々と一生の付き合いをする中で、悩みを受け止め、心の友となり、機を見てイエスさまを紹介するというように細く長く関わってはどうでしょうか。やがて心が柔らかくなり、信仰の従順へと導かれるように私たちは用いられます。


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