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愛の定義

コリント第一 13:4     2024 08 16 (金) 
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

愛とは何か、その答えは百人百様でしょう。愛のテーマを取り除いたら、歌は貧弱になるではないでしょうか。それでも最小公倍数のイメージは何となくあるかもしれません。無条件で受け入れてくれる、見返りを求めず与えてくれる、傷を癒してくれる、本気で心配してくれる、などなど。現実にはあり得ないような愛をイメージしているのかもしれません。

では聖書もの定義はどうでしょうか。これはもっと非現実的かもしれません。愛は寛容である、とのっけからロマンスとは縁のない言葉から始まります。むしろ倫理道徳を説いているようです。実は聖書に出てくる「愛」という言葉は、そのまま「キリスト」と読み替えることができます。ここでは「キリストは寛容であり、キリストは親切です。また人をねたみません。キリストは自慢せず、高慢になりません。」という具合です。神が愛であるとか、キリストが愛の人であるとかいうのは、このような意味なのです。キリストの愛は超越的ですが、絵に描いた餅ではないことに注目してほしいと思います。つまり私たちも未熟ながら、遅々たる歩みながら体得できるということです。

たとえば人に寛容になりたいと思ったら、自分自身が神さまから寛容に扱われたことを思い出すのです。過去の罪と汚れに押し潰されそうになっていたところから、イエスさまがそれを十字架で背負って解消してくださったことをもう一度感謝します。そうすれば少しは寛容さが出てくるというものです。たとえば人から取り返しのつかない失敗をあっさり赦してもらったら、自分が他の人の失敗を赦しやすくなり、その点について少しだけ寛容になれるというものではないでしょうか。寛容に対応してもらえたと自分が体験して初めて、人に寛容になろうと思うものです。実際にそのような体験がなくても、神さまの寛容を体験することはできます。十字架を黙想することです。主は条件なしに100%、永遠に赦しています。これほどの寛容さは世界のどこにもありません。

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