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血液型というラベルを先に貼った結果

私は自分の血液型を知らない。
子どものときに調べていなくて、そのまま大人になった。

10年ほど前だろうか、「●型の自分の説明書」という本がすごく人気になった。その影響か、やたらといろんな人に血液型を聞かれるようになった。

私が「知らない。調べてないの」と答えると、みんな一様に「えー!」と驚き、すぐさま、私は何型だろうかと予想をし始める。
このくだりがいつもけっこう盛り上がるから、このまま知らずにいる方がおもしろいかもと思い、私は " 血液型知らないキャラ " で生きることに決めた。

みんなの予想で、一番多かったのがA型。もう圧倒的だった。
「絶対Aでしょ」と確信に満ちた感じで言われることもよくあった。
特に職場の人からは、100%A型だと言われた。

私からしてみると、私が細かいわけじゃなくて、みんなが大雑把なんだと思うけど、天才肌の人が多い職場だから、努力家タイプの私がそういうふうに映るのは無理もないとも思った。
最終的には「Aの極み」という輝かしい称号をいただき、私はA型になった。

ほかの人が気づかない間違いに気づく、作るデータが正確、企画書が細部まで凝っているなど、私のA型の素質は職場においていかんなく発揮された。

そんな人生を10年以上送る中で、私はとても自然に、自分はA型なのだと思うようになった。血液型占いもA型しか見ない。
細かい仕事は私が適任、そんな空気ができ上がり、私はその期待に応えるかのように、ミスのない、細部まで気を配った緻密な仕事を得意とする人間になっていった。

先月のことである。
私は病院へ血液検査の結果を聞きに行った。
初めて行く病院だったが、とても丁寧に説明してくれる先生で、私も真剣にその話を聞いた。

医師「ここの数値を見ると、少し貧血気味ですねー」
未琴「はい、昔からそうなんですよー」
医師「ここの数字は赤血球の値でねー」
未琴「はいはい、なるほど」
医師「血液型はO型だねー」
未琴「・・・え? 今なんて???」
医師「血液型ですよ。知らなかったの? ほらここ、O型です」
未琴「えーーーー!!!」

驚いた。ここ5年くらいの中で一番びっくりした。
O型? O型って、あの、おおらか代表のO型? 大雑把優勝候補のO型??
(O型の方、すみません)

40年近く生きてきたこのタイミングで、自分のアイデンティティがひっくり返った。気がした。

私、O型だったのか。。。
そういえば、プライベートでは時間もルーズだし、よく忘れ物もする。外食に行ってもなかなかメニューが決められない優柔不断。

でも勝手に、これはオン(仕事)のときにとても神経を使ってるから、その反動でオフ(プライベート)がこうなっているのかと思っていた。

A型だと思って生きると、人はA型になるのだ。
自分から寄せていった自覚はないのだが、明らかに私は後天的にA型になった。

人って単純だ。
でも、そんなものなのかもしれない。
大げさだけど、人の精神は肉体や人格を凌駕するのだ。
「病は気から」と同じ現象である。

昔と違って、今は不特定多数の人と接点をもつことがたやすくなり、外部からの刺激(喜びや悲しみなど)の受け方も変化している。
ひとつの事柄から、どういう刺激を受けるのか、その刺激をどう感じるのか、そしてそれを受けて自分はどうふるまうのか。

すべては自分次第。

O型だとわかってからの私は、なんだか楽に生きられている気がする。
もう細かいところまで気をつけなくていいんだ。
抜けててもいいんだ。
いつもしっかりしてなくていいんだ。

A型という枠組みから外に出て、少し自由になれた。
その枠組みは自分で作ったもので、自分でその枠の中にはまっていただけなのに。

もっと肩の力を抜いていいのだ。
身の回りの枠組みのほとんどは、自分が作り出しているだけなのかもしれないから。

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