シェア
普段のおしゃべりは、いつまででも続くのに、リレーコラムになるとつい筆が止まるのは、我々3人、案外シャイなのか、怠惰さ故なのか。 さて、気がつけば夏真っ盛り。太陽が東の空にあるうちから、じりじりとアスファルトの道路を焼き、熱気が地表を覆い尽くす。路地裏の野良猫も、あまりの暑さにじっと息を潜めているのに、庭の雑草は信じられないほどの生命力でボウボウと伸びている。 子どもたちにとっては、待望の夏休み突入、である。が、現実には、夏休みを待ちわびている子どもばかりでもない。 ス
二人とも、お返事ありがとう。カオスですか。大変な話になってきましたね。 そして、カオスと聞くとトポス(場所とか視点とかいう意味で使われます)が思い浮かぶ貧弱な連想力しかないわけですが。 三茶庵を構えて以降、トポスの大事さが身に染みてわかってきました。中堅になってそれはどうなんだ、というお叱りは置いておいて。 以前、部屋をどう整えるかという話がこのコラムで上がっていたと思うのですが、最近になって、枠組みの大事さが腹落ちしたんです。決まった場所、時間に約束をして必
「誠実」と「真実」この二つが、好きな言葉だと、私が中学生の頃に教わった先生が 言っていたのを思い出す。 私は、当時からこれらの言葉が、苦手だった。清廉潔白な、「誠実さ」よりも、混沌とした泥臭さの中にも何か大事なものがあるような気がしていたし、「真実」などというものを元々信じていなかった。 あなたの「ほんとう」は、私の「ほんとう」とはきっと、同じとは限らないのだから。 ということで、実は昔から「正しさ」にも「ほんとうのこと」にもあまり、興味が無かった。ただ、
宮沢賢治は「ほんとうのこと」を知っていたかどうかだって? うーん、全然分からない、ごめん。『銀河鉄道の父』(門井慶喜 講談社)も映画化されたし、タイムリーな人であるけど、残念ながらほとんど読んだことがない。 最初に読んだのはもちろん、児童文学である「注文の多い料理店」だったが、あまり好きにならなかった。次に目にしたのが「グスコーブドリの伝記」。全体に漂う暗い雰囲気が好きにならず、「セロ弾きのゴーシュ」はアニメで見た記憶がうっすらある程度、その後は宮沢作品は手に取っていない
心理職として未熟者ではあるが駆け出しとは言えなくなってきた年頃だが、今の私には駆け出しの頃よりももしかしたら深い悩みがあるかもしれない、とふと思う。 それは「正しさ」と「ほんとう」についてである。そこで二人に聞いてみたいと思う。 あなたにとって「正しい」とはどういうことだろうか。 あなたは「正しい」だろうか? 私にとって「正しさ」は相対的だ。もちろん、カウンセリングにはどういった療法においても原理原則、プリンシパルと言えるものがあるし、それ以前の道