丸山担によるヘドウィグ・アンド・アングリーインチ本気考察と感想(1万字超)

【目次】
①ごあいさつ
②ヘドウィグ観劇の感想
③みこしの解釈
④マルウィグ観劇の感想
⑤丸山さんへのメッセージ

◆ヘドヘッズ様→①・②・③へどうぞ!
●丸山担様→⑤以外ならどこを見ていただいても大丈夫(だと思います)!
❌これからヘドウィグ観劇される方→読まない方がいいです!ネタバレしかないので!!



①ごあいさつ


どうも、こんにちワンツー、みこしです。
はじめましての方、はじめまして。

ヘドウィグ観劇の感想書いてたら、まとまらないし長すぎるしでどうにもならなくなってきたので、ここに置いておこうと思います。
(文字数カウンターが12,394と表示しております。そんなに書いたっけ~スットボケ🙄)

なお私はズブズブの丸山担でございます。
映画鑑賞済み、映画版サントラ拝聴済み、他の方の解釈は見ずに2回観劇しました。ヘドウィグの世界に足を踏み入れるのは丸山さんのキャスティングが決まってからだったので、作品への理解がそこまで深いわけではないです。
また感想は完全に「丸山隆平のファン」から見たものなので、ヘドヘッズの方々は②や③のみ見ていただけるのがいいのではないかと思います。これも超個人的解釈ですが…。
もし今公演をきっかけに丸山さんが気になっている方がおられれば、ぜひ感想も見ていただけると嬉しいです!!

私は私なりにこの感想を本気の熱量で書きました。丸山さんがしっかり感想をサーチしていると仰っていたので、彼が見てもいいように、いやむしろ見てほしいぐらいの気持ちで書きました。故にたいそう荒ぶってはおりますが、いちファンの戯れ言だと思ってご了承いただけますと幸いです。

共感したり驚いたり、読んだ感想などありましたらみこしのTwitter(@kimiwo_katsugu)に教えていただけますと嬉しいです!!
それではどうぞよろしくお願いいたします!!🙇


②ヘドウィグ観劇の感想


まずは、ミュージカルを観劇した感想から。

映画版をみたとき「ああこれはハンセルという人がカタワレを見つける物語なんだな」と思っていたんですが、ミュージカル見てから再び考えるとこれ、カタワレ見つかったのかな?まだ見つかってないのかな??って悩みました。少なくとも、カタワレを見つけたと断言できるものではないのだな、というのをミュージカルを観て気づきました。

映画版で、なぜ最後に全裸で歩いていくんだろうと、それが何を表現しているのか疑問だったんですが「ただありのままの自分でいること」。それがこの物語のキモなのかなと感じました。でもそれって簡単にできることじゃないですよね。だいたいの人は人に見られたり何かしらの社会に属すことで自分という存在を保っていると思います。どうしても評判とか誰にどう思われてるかを考えてしまうんですよね。
もしそれらをすべて受け入れて、その上で自己実現というか、自分の理想の自分を目指していくことができたらとてもいいなと思いませんか。私は、ハンセルはこの境地にたどり着いたんじゃないかと。そしてカタワレと出会えるのは、その道を歩いていった先なんじゃないかと感じたんです。

だから全裸で(ミュージカルではパンツ一丁で)歩いていくのは、誰にどう思われてもいい、ただ自分は自分の道を歩く。これからもカタワレを探していく。という決意の表れなのかもしれないと感じたんですね。

ここまでたどり着くのにはそれこそ何度も人に裏切られたり、怒りのアングリーインチを身体に宿すことになったり本当にたくさんの苦しみを味わうわけですが、それらはすべてヘドウィグにとって、ハンセルにとっては必要な過程だったというか、だからこそありのままの自分を見出だせたのだと思います。
苦しみの渦中にあるときは「え、もう無理死ぬ」と思っちゃうしヘドウィグもだいぶ荒れてましたが、嵐が過ぎ去った後にふと振り返ると「ああ、自分にも悪いところがあったな」「もっとこうしたらよかったのかもしれない」と冷静に反省する事って結構ありますよね。苦しみが大きければ大きいほど、得られるものも大きいと思います。ヘドウィグも死ぬほど辛いことを味わってこそ、ありのままの自分を見つけることができたのかなと。

結局何が言いたいかというと、これは我々へのエールなんじゃないかと感じました。どんなに辛いことがあっても、それらをすべて肯定し受け入れれば、きっと素敵な未来が待っている。嵐の中にいると未来なんてわからないから自暴自棄になってしまうこともあるけれど、そうなってしまったなら好きなだけ自暴自棄になってから、また立ち上がればいい。そういうヘドウィグなりの不器用な愛と元気を与えてくれる作品だったんだなと思いました。

実際ミュージカルを観て、特に最後の「Midnight Radio」とか元々好きだったんですが、イヤホンで聴くのとはまったくちがう感覚になりましたね。みんなで「Lift up your hands」してひとつになって。普段はそれぞれ違う苦しみを味わっているけれど、今だけはヘドウィグの痛みを共有して同じように笑ったり泣いたりしてきた仲間なんですよ。「私たちは正しい」って自分を優しく肯定してあげるんです。全員で全員を応援しているような気持ちになって感動しましたし、すごく元気が出ました。

この作品って、セクシャリティ、愛、音楽……さまざま要素がまさにグミベアのようにひとつの袋に押し込められているような、濃厚な物語ですよね。最初は丸山さんが主役をつとめるということで見始めたのですが、いつの間にかヘドウィグという作品自体に引き込まれていました。なんだか、この作品は苦悩している人ほど心にくるものがあるような気がしますね。今コロナや他にも色々なことで苦しんでいる方に、ぜひ観ていただきたくなるような作品だと思いました。


話は変わりまして、内容の面でいうと、ミュージカルでは映画で描かれてないことも明るみになっていて興味深かったです。もしかしたらミュージカル版か今公演独自の設定なのかもしれない…。

  • 今公演→ヘドウィグが偉い人にフ○ラして手に入れた公演

  • イツハク→以前のバンドツアーで出会った。当時イツハクはドラァグクインをしていて、その街では結構有名&人気だった。「連れて行ってくれ」と告白したのはイツハクの方から。そのときヘドウィグは「今後一切ウィッグを被らないと約束するならついてきてもいい」とイツハクに代償を払わせた。

  • 母親→ハンセルとの暮らしが気まずく居心地が悪かったので、性転換手術に賛成した。

  • 香水→ヘドウィグはオゲレツっていう名前の香水を出している(クサイ)

このなかにはたぶん私が映画版では気づけなかっただけの事も含まれているとおもいます。
個人的にはイツハクがヘドウィグのウィッグに執着しているのはなぜだろう…と疑問に思っていたのですが、イツハクも元ドラァグクインだったのですね。そりゃあんな高音出るし美人にもなれるわけだ、と理解しました。
それと、なぜあれほど西側を嫌悪していた母親が実の息子に亡命を許したのかわからなくて、もしかして本気でハンセルの幸せを願ったからかな……とか思っていたのですが、そう甘くなかったですね。でもこれですべて腑に落ちました。

ちなみにヘドウィグブランドの香水、「オゲレツ=Atrocity by Hedwig」というらしいのですが、この「オゲレツ」と訳されている「Atrocity」の意味を調べたら「残虐」という訳がめちゃくちゃ多くて。「蛮行」という訳もあったんですが、これはもしかしてドイツへの皮肉ですか?単なる言葉のあやですか?そこらへんよくわからなくて、英語や時代背景に詳しい方がおられたらぜひ教えてください……。もしかしてスペルから間違えてる??

あと何はなくとも語らなくてはいけないのが、イツハク役のほなみさん!ドラマーで役者をされていることも知ってはいたんですが、驚いたのはその歌の上手さ!!「The Long Grift」、最高です。観劇後、頭のなかでいちばんヘビロテしたのはイツハクの歌うこの曲でした。叫ぶように乱暴で切なくて、胸に刺さる。
マルウィグとも息ぴったりで最高だったし、健気だけどそれをヘドウィグに見せようとするでもなく、ヘドウィグを支配せず支配されようとするでもない、ただただ憧れと深い愛情、根の優しさが表れていてとてもよかった……。何より最後のシーンは本当に涙を流されていた回もあり、その美しさも相まって心に訴えかけるものがありましたね。
それと彼女、シンプルに丸山さんとの付き合い方が上手い気がします。記者会見のときの「脛毛と一緒に写真うつるの嫌だなと思って」を聞いて、「あ、この人年下の女の子っていうより、うまい珍獣使いだ……」となりました。たぶん丸山さんもそのくらいの方がやりやすかったんじゃないでしょうか。ちょうどいいさじ加減ですね、好きです。


③みこしの解釈


さて、ここからは映画とミュージカルを通して私が物語をどう解釈したかのお話に移ります。長いです。

全体を通して私が感じたのは、「カタワレは自分、自分を愛し人を愛し受け入れることこそが愛」だったのかなということです。
ヘドウィグのカタワレとは、自分自身だったのではないでしょうか。母がヘドウィグを抑圧し何かを失わせたように、ヘドウィグはイツハクを抑圧し「ありのままの自分でいる」ことを奪いました。しかしカタワレを見つけるのに必要なのは「ありのままの自分でいる」ことそのものだったのではないでしょうか。
そう感じる理由は、なぜヘドウィグが母と同じ「何かを代償にして何かを得る」という考え方になったのかにあると思います。

そもそも母がなぜそのような考え方になったかは、もしかすると母もヘドウィグと同じ絶望を味わったからじゃないでしょうか。本当はプラトンの愛の起源のように母も自分の「カタワレ」を探していて、でもカタワレだと信じていた夫は息子を犯していて裏切られて。その結果、母は「何かを代償にして何かを得る」考え方になってしまった。この状況は、ヘドウィグがトミーをカタワレだと信じ裏切られた状況にすごく似ていると思います。

でもだからといってヘドウィグがなぜその考え方を踏襲してしまったかなんですか、これは仲間がほしかったんじゃないかな。トミーに裏切られ孤独に耐えられなかったヘドウィグが、潜在的に自分と同じく何かを代償にした人間(人工的なカタワレ=イツハク)を作り出すことで、自分を保ちたかったのではないでしょうか。だからあそこまでイツハクに執着するのかなと。

反対に言うと母もハンセルをカタワレだと思いたかったのではないでしょうか。本編でヘドウィグが母との日々を「まるではまらないパズルのピースが無理やり合わせられているみたいに」(うろ覚えです)と話すシーンがありますが、イツハクも同じことをヘドウィグに思っていそうです。映画版でもそんな感じの描写がありますね。
ここで興味深いのはヘドウィグもイツハクも抑圧する側(母とヘドウィグ)のことをなんだかんだ愛しているということです。でもそれはつまり「愛を人質に大切なものを失わせる」ということだから、やっぱりよくないんだよな…。

ここで話は元に戻ります。
ヘドウィグはずっとカタワレを探していましたね。けれど父親への愛は一種の植え付けだったし、軍曹への愛には権力も含まれていました。イツハクとの愛は婚姻関係にはあるけれど、ヘドウィグはイツハクからの愛情にどこか優越感を得ているような気がします。唯一、トミーだけがヘドウィグが自分から人間そのものを愛した人間といえます。
ヘドウィグはトミーのことをカタワレだと信じ、ありのままの自分を受け入れてほしいと願いました。けれど求めても求めてもその願いは叶わなかった。やがて彼はヘドウィグを裏切り、愛は憎しみに変わった。トミーも結局はカタワレではありませんでした。
なぜそんなことになってしまったのか。
それはヘドウィグがトミーに、自分自身の「憧れの姿」を重ねていたからではないでしょうか。

無垢で青くてありのままいることを大衆に受け入れられる存在。楽曲の神として不滅の愛を正々堂々と与えられる存在。ヘドウィグは無意識のうちに、自分の理想形をトミーに与えていたとは考えられませんか?イツハクがヘドウィグに憧れているように、ヘドウィグはトミーに、理想の自分に憧れていたのでは?だからトミー(理想の自分)に惹かれてひとつになろうとしたし、最後何もかも削ぎ落としたヘドウィグはハンセル(内なる理想の自分)に導かれ、自分らしく生きることを決意したのではないでしょうか。

つまりこの考え方でいくと、

  • ヘドウィグのカタワレはハンセル(理想の自分・本来あるべきだった自分)

  • イツハクのカタワレはヘドウィグ

ということになります。
(トミーのカタワレは…強いていうなら『イヴ=心も身体も女性の人』かもしれないですね。トミーのあの話はとても印象的なので)
するとイツハクはドラァグクインであるヘドウィグに憧れていたと考えられるので、自分の存在は認められても憧れは失うということになり結局切ない…。ただ最後のヘドウィグを追いかけるような演出的に、ヘドウィグはこれから本来の自分(ありのままのハンセル)で生きていくだろうし、イツハクはヘドウィグを失っても自らがヘドウィグ(理想の自分)になって代わり、ハンセルともいい関係を築いていけるんじゃないかと思います。そこに婚姻関係があってもなくても、もう関係ないような気がしますね。

今回、ヘドウィグとイツハクについてふたつ感動したシーンがあって。
ひとつめ、これは実際に観劇して驚いたんですが、イツハクが「The Long Grift」を歌っているときヘドウィグも終盤一緒に口ずさんでたんですよ。この歌は普段はヘドウィグがトミーに対して「わたしはお人好し、ジゴロみたいなあんたに利用された」と歌う曲だと思うんですが、公演ではイツハクがこの歌詞に自分を重ね合わせヘドウィグに対して歌っているように感じて。これはイツハクが知らず知らずのうちにヘドウィグと心の痛みを共有した瞬間だったと思うんです。
それとそのシーン後にヘドウィグがイツハクに「ツインボーカルしましょ」と言ってイツハクが自嘲気味に笑うシーンがあるんだけれど、あれは完全にヘドウィグと同じ「笑わないと泣いちゃうから」の笑いでしたね。ヘドウィグがあの笑いを見たときすっごく傷ついた寂しそうな顔をするんですが、あれを見てやっと「自分は自分と同じようにイツハクを傷つけていたんだ」ということに気づいたんじゃないでしょうか。そこでもう何もかも嫌になって自分をコラージュする(繕う)のをやめて一度壊して、本来の自分に回帰していくんですね。

ふたつめに感動したのが、イツハクが最後決意するようにハンセルに着いていったこと。ヘドウィグがイツハクを抑圧している時点では憎しみが繰り返されることになってしまっているんだけれど、ヘドウィグはその連鎖を本当の自分を取り戻すことによって断ち切り、愛の連鎖に変えたと思うんですよ。
イツハクが、ありのままの自分でいることを決めたその背中を追って同じ道を歩くことで、意思を継ぐ(愛は繰り返される・不滅)ことを表現しているような気がして。個人的には一歩を踏み出す前のイツハクの、ハンセルのことを想いながら決意を固める表情に胸打たれます。

何が言いたいかというと、ヘドウィグとイツハクのふたりは本質的には似た者同士で、だからこそいがみ合うときもある。けれどイツハクのひたむきな愛がヘドウィグの心を癒すように、ハンセルの優しさがイツハクに真の姿で生きることを教えるように、互いが互いの足りないところを補い合っていて……そういう意味でもふたりはカタワレのようでカタワレでない、でもいないと成立しないような大切な存在なんだと思います。


④マルウィグ観劇の感想


ここからは丸山さん演じるヘドウィグ(通称マルウィグ)を観た感想になります。
何度も言いますが私はズブズブの丸山担なので、贔屓目でしか観られないことをご了承ください。


簡潔に表すと、
「丸山隆平とはかけはなれたヘドウィグ」
「ヘドウィグになってる丸山隆平」
なのかな?って思ってたら、
「丸山隆平がヘドウィグ
ヘドウィグは丸山隆平」
でした。
月並みな感想だって思われるかもしれないんですが、本当にそうだったのだから仕方ない。

彼のなかにある孤独や優しさをまさにコラージュして生み出されたヘドウィグでした。ヘドウィグの奇抜さや複雑さが彼の良さを生かし、引き出してていたし、「ヘドウィグの格好をした彼」というのではなくて「ヘドウィグに愛され実体として表れるのを許された存在が丸山さんだった」という感じ。丸山さんじゃない、というのでもない。丸山さんこそがヘドウィグでした。

ヘドウィグは感情の起伏が激しくて、でもそれを「演じてる」っていうよりかは「溢れ出てる」?感じだったのが印象的でした。
丸山さんにも激しい感情があって、今回はそれをただ垣間見ただけなのかもしれないと……。だって、作っているにしては感情の色彩が豊かすぎたんですよ。同じ笑い・泣きでも感情によってまったく違う表現をしていました。作っていないとしたら相当情感豊かだし、作っているとしたら半端ない人間(の感情の)観察と感受性と表現力があります。凄すぎて信じられない。

ヘドウィグって心に感情が大きい河のようにずっと流れていて、石を投げると水しぶきがあがるみたいに誰かの言葉にカッとなったり、氾濫して泣いちゃったり、ときには静かでいるときもあるイメージがあるんです。
もしかすると丸山さん自身は大河が枝分かれしたような感情を持っていて、その水脈ひとつひとつを「アイドルの丸山さん」、「ひとりの丸山さん」、「友達といる丸山さん」みたいにカテゴライズしてるのかもしれないですね。幅広い感情の引き出しのなかで必要なものを都度取り出しているから、私たちは思いやりが深くてときどきサイコな丸山さんしか知らないけど、ひょっとすると「私生活の丸山さん」のなかにはヘドウィグのような激しい怒りやグロテスクとも思えるようなエロチシズムや思いもよらない感情が流れているのかも。実は水しぶきが立ちやすかったり、氾濫したら手に負えなかったりするのかも。
だから、私自身は今回のヘドウィグで彼の新しい一面を垣間見られたような気がして…なんだか人間らしくてすごく素敵だなと思っちゃいました。

そりゃあ人間だから、心の中に自分や他人を傷つけてしまう面があるはずなんです。ただ彼は普段からできるだけ人を傷つけまいと気遣いをするところがあるので、ファンでも彼が本気で怒っているところを見たことは……ないかもしれない。
けれどマルウィグは違ったんです。客にスキャンダル目当てじゃないとここには来ないでしょと怒鳴るところとか、ウィッグ被ろうとしたイツハクを叱りつけるところとか、「うわ」ってちょっとおおのくくらい怖かったんです。でもそこで一気にヘドウィグの世界に入った気がしました。

ふと思ったんですが、私たち丸山担はスキャンダル目当てではないけれど「ヘドウィグ役の丸山隆平」目当てに来ているわけなんですね。だから「ただ『ガワ』を見たいだけならここには踏み込むな」って、ヘドウィグと本気で向き合うだけの覚悟を求められたというか。より当事者としてヘドウィグに怒鳴られた気がしました。いや、完全に主観なんですけどね。
それに当たり前なんですが、あんなに怒鳴る丸山さんなんて見られないじゃないですか。だからマルウィグが怖ければ怖いほど、私は彼がヘドウィグに染められているのを感じられて嬉しかったんです。

あとどう考えても歌が上手すぎる。高音から低音まで幅広く、曲によってシャウトまでも使いこなしてます。「Origin of Love」のトールとゼウスの低い声色とか、同曲の「through one eye」の「eye」の残し方だとか、端々にこだわりも感じられて……私は音楽のことはわからないのでただ「上手い」としか思えませんでした。
これから言うことは素人の妄言だと思ってください。実は大学時代にミュージカルサークルで演者をしてたんですが、ミュージカルにおいて歌の上手さって大事なんですよね。当たり前のように思われるんですが、それは歌が上手くないと聞き心地がよくないというだけではなくて、感情の表現が制限されるんです。ミュージカルでは歌は感情が溢れ出た結果としてあらわれるものなので、舞台でいうセリフとしてあるべきだと私は思うのです。
そういう観点でマルウィグはまさに「語るように歌っていた」と感じます。たしかに内容的に「ヘドウィグがステージで歌を歌っている」状態であるけれど、ただ上手く歌っているわけではないというか。歌にバッチリ感情がのっていて、それを表現するだけの実力が彼にはあるように感じましたね。あくまで素人の意見ですが!!

ビジュアル的な面から言うと、これはもう挙げたらキリがないけれど、総合すると「普段見ることのできない姿を見られたことの喜び」これに尽きます。
男性アイドルの女装は見られても、ドラァグクイン姿なんて見られますか?私は見たことないです。女装は女性ものの服を着れば済みますが、ドラァグクインは華美な服装や化粧、歌と踊り、さらには女性性を誇張した身のこなしが必要になります。これはなかなか見られないですよ。さらに格好だけ真似るのなら出来ないこともないですが、彼は「ドラァグクインのヘドウィグ役」になるために、ヘドウィグの男性性(ハンセル)も持っていなければならない。単にドラァグクインを演じるわけではなく、ドラァグクインをしているハンセル、アングリーインチを抱えたハンセルになるということです。それがどれだけ難しいことか。作品と役への深い愛、想像を絶する努力がないとできないことだと思います。

また観客がほとんど女性のなかで、本来男性的な魅力を求められるアイドルがドラァグクインという役に挑戦する。そのためにどれだけの努力と思案、思惑、挫折があったのだろうと想像してしまいます。普段から二枚目な人が演じると、本人は全力で演技しても観客(ファン)が求める像からは外れてしまう。反対にコメディすぎると劇中の深刻な感情の起伏に観客(ファン)はとり残されてしまいます。丸山隆平というアイドルはおちゃらけていることが多いですが真面目なときは滅法格好よくて、ファンもそれを受け入れている(むしろ好き)だしその切り替えに慣れています。そして下ネタにも耐性がある??から、まさしく適役だったんじゃないかと。
望ましいことかそうでないかは別として、今公演の観客はほとんどファンだったと思われるので、その演出や丸山さんがキャスティングされたことにおいて私たちファンが与えた影響もそれなりにあるのかなぁとか思いました。

最後にもうひとつ。不器用にカタワレを、愛を探すマルウィグを見ていると、本当に男とか女とか関係ないしくだらないなと感じます。性別は人間を構成するひとつのパーツにすぎないと思うんです。身体的特徴も同じです。
私は男性である丸山さんが好きなんですが、丸山さんが男性だから好きなわけではないんですよ。女性の丸山さんに会ったことがないからわからないけど、女性になったらそれはもう丸山隆平ではないわけなんですね。伝わりますかこれ……??
つまり、性別とか身体的特徴は人間全体から見ると一部でしかないのですが、その一部に惑わされるのが人間なんですよね。要素として小さくも大きくもなり得て、人によってその大きさが異なるんです。そこに切り込んだ作品の主役を「性別とビジュアル」に重点を置くアイドルが演じたということ。私にはとても意義があるように思えてなりません。

ていうか丸山さん、ツアーやりながら収録とかも普通にしながらヘドウィグをここまで仕上げたんですか!?知ってたけど只者ではないですね。もしかして…人ではない??(褒め言葉)
正直「ジャニーズ」というバックボーンを持ちながら、アイドルをしながら、朝の番組のMCもしながらヘドウィグをできるのは、この世で丸山さんしか存在しないんじゃないでしょうか。彼のキャラじゃないとできないし、そんなん絶対なる唯一無二。
それだけでも凄いのに、さらに凄いのはヘドウィグを多くのヘドヘッドの方々に受け入れられるクオリティまでもっていったことです。何度でも言うけれど、血の滲むような努力と深い愛がなければできないことだと思いますね。だからヘドウィグも丸山さんを受け入れたのかなって……。
あーもう大尊敬すぎて丸山さんのこと頭の中でツッコんだりできないな…って思ったんですが、丸山さんはたぶんそんなこと望んでないだろうからこれからもツッコミます。←

~~⚠️ここから一気に頭悪くなります~~

今回はじめて観た時に衝撃を受けたのが、やっぱりフ○ラの再現ですね。役とはいえ好きな男性アイドルの口から「フ○ラ」という言葉が出てくる衝撃もさることながら、その再現までするんですよ?そんな生々しいことあります??
……それがあったんですよね。今でも信じられないんですが。
詳しくは劇場で観てくださいって感じなんですが、本当になぜかわからないんですけど、丸山さんああいうの上手いですよね(語弊)
あとマルウィグを演じることで丸山さんの中にフ○ラという概念が存在することを確認できたのが個人的収穫でした。キモオタすぎてすみません。
これ以上はいろんな人に怒られそうなので書きませんが、とにかく衝撃的だった…全部もろに言っちゃうんだもん……。
ていうかこういうのもミッチェルさんの前でやったんですかね??鋼を通り越してダイヤモンドメンタルだよあなたは……。

あとね~私、マルウィグ様のセリフの言い方も好きなんですよ。

  • 権力の味、「悪くない」

  • がんばれ!がんばれアタシ!

  • (トミーに)アタシはとってもそそられた

  • ご覧いただいているのは…痛みでパンパンの…ロッカーで御座います

ここらへんはもう可愛いしセクシーだしでたまんないですね。
あとマルウィグ様が客席とのコミュニケーションやアドリブ部分で言っていた、

  • 喋っちゃ駄目よアンタ

  • よくできました♡

  • あっつ

  • (イツハクに)あとでお仕置きしなくちゃね

  • (イツハクに)あんま調子乗んなよ

  • (イツハクに)きれい?(イツハクが頷く)
    ごめんなさいねイチャイチャしちゃって。嫉妬しちゃった子いる?

  • ♪ここの中ジャンボ(下ネタ)

  • 酵母が生きてるマッコリみたいな味(下ネタ)

とか、もう丸山担ならこれは興奮せざるを得ませんね。下ネタは普通に笑います。ワードセンスよすぎてめっちゃ笑いました。
こういう感じでアドリブ部分が多かったのも、丸山さんの魅力がうまくヘドウィグとマリアージュした原因のひとつなんじゃないかと思うんですよね。やっぱりね、彼は生粋の人たらしなんですよ。どんなに怒鳴るシーンがあっても下ネタ言っても、自然に場の雰囲気を柔らかくできるし、きちっと締めるところは締めるんです。控えめに言って最高。

あとビジュアルについて、さっきは堅苦しいことを言いましたが、率直に言って美しいし可愛いしセクシー。挙げたらキリがないけどやっぱり挙げたいので以下箇条書き。

  • あー顔がいいずっと顔がいい。凛々しい顔立ちにおしろいしてアイシャドウとルージュつけちゃうとか何事?絵画ですか?

  • 骨格が大勝利~!筋肉のつきかたまで、まるで彫刻のような肉体。丸山さんは引き締まったしなやかな筋肉に憧れると言っていたけれど、そのゴツゴツとした男性的な筋肉は、ヘドウィグをするためにあったのかもしれないですね。

  • ヒールを履いた御御脚が美しい。脚が細く長いので靴も映える。しかし脚を組んだときに盛り上がる筋肉が男性のそれ。ヒールを履くと自然に脚が綺麗になると言うが、丸山さんはただでさえ元が綺麗なのでどうなってしまうことやら……

  • 女性的な所作が美しい。マルウィグは口も行動も汚いのに所作が教わりたいほど上品。これまたネイルが映える。ただその指でフ○ラも投げキッスもするのでいちいち心乱される。それはそうと先日の丸日最高でした。ありがとうございます。

正直言うとまだまだあるんですが、全部書こうとすると一生かかりそうなのでここまでで。
あえて丸山担目線で見ると「Sugar Daddy」とか「Wig In A Box」は普通にファンサタイムでした。頻繁に腰振るし脚崩して座ったり生着替えしたり、ターンの上手さにアイドル感じたり。たまらん。

ちなみにこれは本編とは関係ないんですが、私の観劇後のメモ、こんな感じでした。↓

いま双眼鏡ごしに微笑まれた??嘘、恋じゃん。と思ったら超えっちなお顔で指を舌で舐めたんだが~!?!?死ぬのかな~わたし~!?!?ベース弾く姿まで見れちゃうの!?なにそれ魅力大売り出し中ですか!?!?
うわー生きてるうちに推しのドラァグクイン見られるなんて丸山担はとんだ幸せ者じゃー!!マルウィグ様最高好きー!!このままの流れでパラダイスもやっちゃお!!詐欺師しちゃお!!

……てな感じでだいぶ脳内イカれてました。どれだけ人間語に翻訳したかがわかって面白いですね。自担というドラッグキメながらマルウィグの世界をドライブしちゃったよ……最高に幸せだったなぁ……。


④丸山さんへのメッセージ

最後に。彼が見ているか見ていないのかわからないのですが、もし見ておられたとしたら伝えたいことが山ほどあるので、最低限お伝えしたいことを書き残して本稿を終わりたいと思います。


丸山さん。いつも本当にありがとうございます。真面目にeighterは、丸山担は世界一の幸せ者です。だってあなたはできるだけ良い自分でいようとしてくれるから。なにか辛いことがあったときには、あなたのことを心から応援している人たちがいることを思い出してくださいね。直接何かできるわけでもないし、コンサートでしか顔を合わせることはできないけれど、ほんの少しでもあなたの役に立てたらファンは万々歳なんです。あなたはあなたの幸せを一番に考え、笑顔でいられる道を選んでいてください。
それでは末筆ではございますが、お酒・脂っこいもの・味の濃いものもほどほどに、健康に気を付けてお過ごしください。

エイトは永遠に最高で最強のアイドルですし、丸山さんの未来はまちがいなく明るいですし、ずっと大好きですし、おすし!!🍣✨


みこしより

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