御子神兵庫助
小説についてあれこれ思ったことを集めて参ります。
編集者をする中で出会ったおしゃれな話をupして参ります。
名著に関する言及を集めて参ります。
編集者をしてきて感じたこと、先輩編集者から教えてもらったこと、お付き合いさせていただいた作家や文芸評論家の話のうち、書くことを目指してらっしゃる方のヒントになる話を集めていこうと思っております。そのうち有料にさせていただきます。有料後に重要度の高い話をupして参ります。
昼飯の写真
新潮文庫で一番売れている小林秀雄の本は何かというと、『人間の建設』だそうだ。これは空前絶後の大数学者岡潔(おか・きよし)との対談なので、「小林秀雄の本」と言えるのかどうか微妙だが。 小林秀雄の文章は難解でわかりにくいと思われている。手を出すなら話し言葉を写したものの方が分かりやすい、ということなのだろう。 そういうことなら、『直観を磨くもの』も対談集で読みやすい。三木清、梅原龍三郎、折口信夫、湯川秀樹といったその道の大家と小林が語り合っている。芸術への対し方、論理というも
貴方の疑問、「なぜ漱石は近代を嫌っていたのか」についてですが、漱石の心の内まで論じることは私どもにはできませんので、一般的な範囲での「近代」について書かせていただきます。考えるヒントになれば幸いです。 一般的に「近代」といえば、どういうイメージがあるでしょう。 国王の下、各地の領主(大名)が封土を治めていた封建時代が市民革命を経て「近代」が訪れるわけです。 国王や皇帝などの君主の国家から、国民国家に変わったことになります。これまでは貴族(武士)しか政治参加できなかったのに対し
書けない感動などというものは、皆嘘である。ただ逆上したに過ぎない、 小林秀雄『ゴッホの手紙』 最初は順調でした。ゴッホが父親と同じく聖職者の道を歩み始め、そこで挫折し、弟テオに経済的にも精神的にもすがりながら、絵の道を志す……。小林の筆は快調でした。それがやがて、だんだん言葉が少なくなります。ついにはゴッホの手紙を訳出するだけというような節も出てきます。もう小林からは言葉が出ないのです。ゴッ
土 三好達治 蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ まつすぐな道でさみしい 種田山頭火 咳をしても一人 尾崎放哉 これらの短詩も自由律俳句も小さな孤独を謳っている。 そして大きな孤独に届いている。 自らの孤独を感知し、韻文としたとき、他者の孤独に届くことがある。このレアで幸運な状況を「文学」という。韻文だけではなく、散文で届く場合もある。エッセイや小説が「文学」であった場合である。 自らの
都になった都市は限られています。奈良市(平城京)、京都市(平安京)、東京(江戸城跡)は有名ですが、大阪(難波宮)や甲賀市(紫香楽宮)や神戸市(福原)などもそこそこ知られています。実は他にも思わぬ都市が都になっているようです。 遷都の記録をまとめてみました。 . 遷都一覧 . . bc636 橿原宮(奈良県橿原市) 神武天皇 bc561 葛城高丘宮(奈良県御所市) 綏靖天皇 bc529 片塩浮孔宮(奈良県橿原市or奈良県大和高田市or大阪府柏原市) 安寧天皇 bc492 軽曲峡